マルタ……、マルタ

2001/06/15 日仏学院エスパス・イマージュ
母親になることを拒否するヒロインの姿に共感できない。
重くて暗いテーマ。観終わって憂鬱になる。by K. Hattori

 『クリスマスに雪はふるの?』『ヴィクトール/小さな恋人』のサンドリーヌ・ヴェッセ監督最新作。少女時代に家を飛び出したマルタが、久しぶりに実家に戻るところから映画が始まる。「娘が生まれたのよ。もう6歳になるわ」と両親に報告しているところを見ると、少なくとも6,7年は家族と音信不通だったのだろう。だが彼女はこの家でまったく歓迎されない。両親に限らず、彼女は家族とまったく折り合いが悪いのだ。スペインで結婚した姉を訪ねたときも、マルタはまったく歓迎されなかった。両親も姉も、マルタを疎ましく思っている。できれば永久に縁を切ってしまいたいようなそぶりなのだ。だがそれがどんな理由によるものなのか、この映画にはまったく描かれない。それらしき理由をマルタが口走ることが1度だけあるが、はたしてそれが真実なのかどうか……。何しろマルタは病的な嘘つきなのだ。

 物語はマルタと恋人(夫)のレイモン、ふたりの間に生まれた(と思われる)娘リーズの3人を中心に進行していく。娘が学校に上がる年になり、露天の古着屋商売から店を持った安定した暮らしに格上げしたいと考えているレイモンだが、マルタは生来の放浪癖がうずき、ひとつの土地に留まっていることができない。店を持つということは、彼女にとって「店に縛られる」ということに等しい。彼女は自分を縛るすべてのものが嫌いだ。娘の世話もほとんどせず、家事らしいことも一切しない。娘が眠ると、レイモンを部屋に置いたまま自分一人で町に出かけ、行きずりの男たちと関係を持つ。そんなマルタをレイモンはとがめない。ただマルタが行方不明になったとき、レイモンはひとりで泣く。

 まったく救いのない話で、僕はみていて暗い気分になってしまった。映画に描かれない部分で、おそらくマルタは大きな心の傷を負っている。それは「子供の死」に関係のあることであることも、映画を観ていれば何となく察することができる。彼女は「子供の死」に取り憑かれている。それが彼女の心を縛り上げている。彼女は自分の娘を愛してはいるが、娘が死んでしまう、あるいは自分が娘を殺してしまうのではないかという恐れを持っているのだろう。こうした不安を解消するために、彼女は娘から逃避して夜遊びに走る。娘の死にたいする予期不安は、実際に娘が死んでしまうことで解消されるかもしれない。彼女は娘が川に落ちたとき、まったく助けようとしなかった。その顔に浮かぶのは、「ついに自分の予想が現実のものになった」という大きな恐怖と、「これで不安から逃げられる」という開放感だろう。

 これがハリウッド映画なら、観客はマルタの過去にさかのぼって彼女のトラウマとなっている事件を探り当て、彼女の心と魂がその傷を癒して再生していく様子を見守ることになるだろう。しかしこの映画は、そうしたハッピーエンドに向かわない。もちろんラストシーンの解釈は人によって大きく別れるだろうが、僕はこのラストがハッピーエンドだとはどうしても思えなかった。

(原題:MARTHA...MARTHA)

2001年6月23日10:00上映 パシフィコ横浜
(第9回フランス映画祭横浜2001)

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