シビラの悪戯

2001/05/31 映画美学校試写室
グルジアの美しい夏を背景にした、少年の初恋物語。
シビラ役のニノ・クヒアニチェが可愛い。by K. Hattori

 14歳の夏の日、ミッキーの目の前に突然現れた同い年の少女シビラ。ミッキーは彼女に一目惚れ。彼女もその日、生涯で最大の恋に落ちた。だが彼女が愛した相手はミッキーではなく、その父アレクサンドルだった。それは『エマニエル夫人』が初めて村で上映された年の出来事。思春期を迎えた少年の心は、同い年の少女への強い想いと、父親に対する愛情との間で引き裂かれていく。

 男の子が母親を愛し、父親を憎むことを「エディプス・コンプレックス」と呼ぶ。シビラはミッキーの母親ではないが、幼い頃に母を亡くしている彼にとって、シビラは特別な存在だ。初めて見た女性の裸体。初めてのキス。少年はシビラに恋人になってほしいと願い、その向こう側に間違いなく母親の面影を追い求める。映画の中では「シビラ=母親」という象徴的な関係はあまり強調されていないが、男が恋人や妻を母親の代替物として扱うことなど、言われなくても誰だって知っている。

 アレクサンドルはミッキーを男手ひとつで育てた、ミッキーにとっては理想の父親。彼は父を尊敬している。でもシビラが現れた頃から、この父親にミッキーは幻滅し始めるのだ。父親が意外なほど女性関係にルーズなことも、ミッキーを大いに失望させる。この失望感が、「父がシビラを手に入れてしまうのではないか」という恐れを生み出す。アレクサンドルにとって、息子と同い年のシビラはただの“女の子”に過ぎないのだが、シビラは自分が“女の子”扱いされることを望まないし、彼女を“女性”として意識しているミッキーも、父がシビラを“女の子”としてしか見ていないなんて信じない。

 映画はミッキーとシビラとアレクサンドルの三角関係が中心となっているが、面白いのはその周辺にある村人たちの姿。例えば軍人の若妻が好色で村のいろな男と寝ており、そこから様々なトラブルが生まれる。『エマニエル夫人』を観たあと、村の映画館から人々があの有名なテーマ曲を口ずさみながら出てくるのも面白いし、映画に刺激された人々が、村のあちこちでセックスがらみの事件を起こすというのも楽しいやら悲しいやら。巨根の男がベアリングを使ってセックスしようとしたら(どんなセックスなんだ?)、それが大事なところから抜けなくなってしまうというエピソードは、笑っちゃうけど解決法を見てぞっとしてしまった。巨大なプレス機を調節して、ベアリングだけを壊そうという理屈はわかる。でも調整にクルミを使うというのがなんとも……。

 物語の中心にはエディプス・コンプレックス型の三角関係というものがあるわけだが、映画はその周辺を小さなエピソード群できれいに包み込み、全体としては砂糖細工のように甘く切ないドラマに仕上げている。父と子の葛藤にせよ、村人たちの乱れきった(それでいて楽しそうな)性生活にせよ、もっと重たい人間ドラマとして描くこともできるはずだが、この映画はあえて全体を軽く仕上げている。きわめてリアルな現実の世界を描いているのに、おとぎ話のような印象が残る映画です。

(原題:27 Missing Kisses)

2001年夏公開予定 Bunkamura ル・シネマ
配給:コムストック 宣伝協力:シネマパリジャン
ホームページ:http://www.comstock.co.jp/


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