極道の妻〈おんな〉たち
地獄の道づれ

2001/05/09 東映第1試写室
話が荒唐無稽なのはいい。でも細部はリアルにしないとね。
高島礼子主演の新シリーズ第4弾。by K. Hattori


 高島礼子主演の『極道の妻〈おんな〉たち』新シリーズ第4弾。監督は関本郁夫。このシリーズは高田宏治が脚本を書いた2作目の『死んで貰います』がなかなかよくできていたのだが、今回は再び高田・関本コンビが復活し、それなりに観られるエンタテインメント作品になっている。もっとも作品のできは2作目に遠く及ばない。

 女性が主人公のやくざ映画なんて、そもそもが荒唐無稽な絵空事。だからどこもかしこもリアリズムにする必要は全くないし、むしろこのシリーズの場合はある程度型にはまった様式的な部分を持たせた方が、その中でドラマを膨らませられると思う。でもそれにしたって、ものには限度ってものがあるだろう。ユーモアも結構。ギャグも必要。マンガにするところはしてもいい。でも全編マンガになってしまったら、クライマックスの緊迫感も何もあったものではない。

 例えば導入部の海岸シーン。ヤクザの乗る高級車が海岸の波打ち際ぎりぎりに走るシーンは、やっぱり変だと思う。海岸なんて見通しの利くところで秘密の会合を開いたら、人目に付いちゃってしょうがないだろうに。こういう場面は昔から埠頭や古倉庫で演じられるものと相場が決まっているのだから、変な欲を出さずにそうしたお決まりの場所にしておけばよかったのです。組長を守ろうとする下っ端ヤクザたちが懐から取りだした銃が、馬鹿でかいマグナムみたいなものだったのにも笑ってしまった。護身用にしろ護衛用にしろ暗殺用にしろ、こんな銃はこの場に似つかわしくないよ。主人公たちを狙う殺し屋が、黒っぽい服にサングラスと帽子姿という、いかにも「私は危険な殺し屋です」と言わんばかりの格好で登場するのにも参った。こんな格好では、ターゲットに近づく時も逃げるときも、目立ってしょうがない。

 クライマックスのなぐり込みシーンも、パーティ会場に単身乗り込んでいくというのは無理があるよ。パーティ参加者は強面のヤクザばかりなんだから、たとえヒロインが銃を持っているにしたって、みんながみんな慌てて逃げ出すものかなぁ。銃を出した途端に誰かが取り押さえに来ると思うし、そうされることを想定してヒロインが動かなければスリルも生まれない。会場にどうやって銃を持ち込むか、ターゲットにどうやって近づくかなど、もうちょっと知恵を働かせてほしかったなぁ。

 『ゴッドファーザー』シリーズが名作になった要因のひとつは、殺しの場面のディテールが観客の好奇心を刺激するからです。殺しの場面にそれぞれ工夫があって、どれも「なるほど!」と思わせる。『極道の妻たち』はそういうリアリズムの作品ではないけれど、観ている人に「そんなバカな」「そんなことあり得ない」と思わせない程度のリアルさは最低限必要だと思う。よくできた嘘というのは、本当のことを半分ぐらい混ぜているものです。一から十まで全部が嘘では、観ていてもちょっと白けてしまう。本当らしいことを少しずつ小出しに物語に混ぜて、より大きな嘘をついてほしいのです。

2001年7月28日公開予定 新宿トーア
配給:東映
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