こころの湯

2001/04/10 メディアボックス試写室
北京の下町に残る古びた銭湯を舞台にしたホームドラマ。
映画を観ると久しぶりに銭湯に行きたくなる。by K. Hattori


 中国初のインディーズ映画『スパイシー・ラブスープ』のチャン・ヤン監督最新作は、北京にある公衆浴場を舞台にしたホームドラマ。銭湯の長男に生まれながら、家業を嫌って遠く離れたシンセンで働いているターミン。実家には父のリュウと、知恵遅れの弟アミンだけが残っている。ある日弟から不審なハガキを受け取ったターミンは、実家に異変があったのではと大慌てで北京に戻ってくる。父も弟も元気な様子を見て、数日の滞在でシンセンに戻ろうとするのだが……。

 映画の中では町の再開発と、銭湯の閉鎖という事柄がドラマの背景になっている。北京の古い街並みが次々に再開発で姿を変えていく様子は、映画『ただいま』の中でも詳細に描かれていた。町の開発によって古い住人は別々の場所に移転し、それまで長い時間をかけて作られていた地域のコミュニティはなくなってしまう。北京のような都市部はもともと人の流動が激しく、古い住人といってもせいぜい数十年前から住んでいるに過ぎない。先祖代々同じ土地に住み続けているという、由緒正しい住人は滅多にいないのだ。この映画に登場する銭湯の主人リュウも、内陸部の村から北京に出てきて銭湯を開いたらしい。行政側とすれば、もともと余所から移住してきた住人を、再度別の場所に移住させるだけのことだと考えているのだろうし、住人たちもそれを仕方ないことと諦めている。でも人生の大半を過ごしてきた土地を離れるのは寂しい。自分の暮らしてきた土地こそが、その人にとっての故郷なんだと思う。

 日本でも昔は町内にひとつずつ銭湯があったけれど、今はずいぶんと減っている。内風呂が普及したことで、公衆浴場はその使命を終えてしまったのだろう。今でも銭湯に行く人たちというのは、「銭湯でないと風呂に入った気がしない」という年輩者がほとんどではないだろうか。要するに習慣の問題なのです。僕の住まいの近くにはまだ一軒残っているけれど、行くのは年に数回程度。マンションのユニットバスは狭苦しいし、シャワーではくつろいだ気持ちになれないのだが、銭湯に行くのも面倒くさく感じてしまう。400円という入浴料も、銭湯行きを足踏みさせる原因のひとつになっている。

 こうした銭湯離れは中国でも同じらしい。その辺の事情が、この映画にはしっかりと描きこまれている。再開発で消えてしまう町の中にある、時代から取り残された銭湯という場所。二重の意味で時代から完全にずれたこの場所は、時代からずれているからこそ、人々の心のオアシスになっているのかもしれない。それは僕が銭湯に行っても感じることと共通する。昔からまったく変わっていない下駄箱、番台、大きな鏡、ガラス戸の向こうの洗い場と大きな湯船、古い体重計があって、風呂上がりに昔ながらのビン入りの牛乳を飲む。移り変わっていく町の風景や人間関係の中にあって、こうしてまったく変わらない場所があるというのはいいものです。これは郷愁というのとは、またちょっと違うんだよなぁ。

(原題:洗澡 Shower)

2001年初夏公開予定 シャンテ・シネ
配給:東京テアトル、ポニーキャニオン 宣伝:メディアボックス
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