鬼婆

2001/04/04 アスミックエース試写室
戦乱の世を落武者狩りで食いつなぐ乙羽信子と吉村実子。
新藤兼人が昭和39年に製作した作品。by K. Hattori


 南北朝の戦乱が続く中世末期。たび重なる戦乱で田畑は蹂躙され、男たちは足軽や人足として戦場に引き立てられていく。女子供だけが残った農村は荒れ果て、田も畑も草ぼうぼうのススキが原に変わり果てている。残った女たちは落武者を襲って得物や具足を剥ぎ取り、武器商人に売りつけることで飢えをしのいでいる。

 新藤兼人監督が昭和39年に監督した異色の時代劇。乙羽信子と吉村実子が、落武者狩りに精出す姑と嫁を演じている。日に焼けたふたりの黒い顔に、目だけがぎらぎらと光る。生きるために、飢えを満たすために、戦場から命からがら逃げてきた落武者を突き殺すふたり。そこには「人を殺す」ことにたいする何の痛みも呵責も存在しない。生き抜くことが全面的に肯定される限り、他人の命を殺めてでも生き続けていかなければならない。ふたりは戦場に連れ去れれたまま戻らない息子(嫁にとっては夫)が、いつか生きて帰ってくることを期待している。だが息子と一緒に引っ立てられていった近在の男が脱走して戻り、息子は落武者狩りの土民に打ち殺されたと知らせる。残された女たちは、その報告を淡々と聞く。心のどこかでは、息子がもう戻ってこないことを悟っていたかのように……。ここまでが映画の序盤。

 時代設定は足利尊氏と楠木正成が戦った南北朝時代になっているが、この映画の舞台となっている野っ原は、そんな政治の中心からは少し離れている。画面に映るのは、見渡す限り草ぼうぼうの野っ原だけ。この野っ原が主人公たちの生活を周囲から遮断し、物語をある種の密室劇に仕立てている。どこまでも続く野っ原と、その真ん中にある大きな黒い穴。人の背丈以上ある草の中から落武者が現れ、その落武者を襲う鑓がきらめく。草むらは男と女の逢い引きの場ともなる。暴力や欲望や嫉妬といった人間のどす黒い感情が、生い茂る草むらの中から現れては消える。この荒涼とした風景は、人間の心そのものを象徴しているようにも見える。

 セックスの問題がテーマのひとつになっているのだが、ここに登場するのは生々しく荒々しい「性」そのものであって、ムードのあるエロティックなファンタジーは存在しない。嫁と近在の男(ヒゲぼうぼうの佐藤慶)の情事を盗み見て、乙羽信子の中から忽然と性欲がムラムラと沸き上がってくるというシーンは、エロというよりもはやホラーなのだ。人間が自分ではどうにもコントロールできない感情や欲望に支配され、あられもない姿をさらす様子は無様で滑稽であり、こんな女性像を描いてしまう新藤兼人のいやらしさも感じてしまう。男に抱かれることで、みるみる自信を付けて輝きを増していく若い女と、男に女性として拒絶されたことで、あっという間に老け込んでパニックを起こす女の対比。

 鬼の面がはずれなくなった乙羽信子の顔を、嫁の吉村実子が面の上から何度も打ち据える場面は恐いのだが、ここに至るまでに姑がいかに嫁を精神的に支配してきたかをもっと強調しておいた方がよかったかも。

2001年5月12日公開予定 シネマライズ
「新藤兼人からの遺言状」
主催:近代映画協会、アスミック・エースエンタテインメント 宣伝:ドラゴンフィルム
ホームページ:http://www.kindaieikyo.com/ (とりあえず)


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