裸の島

2001/04/03 アスミックエース試写室
新藤兼人監督が昭和35年に製作した代表作。
全編台詞なしという実験的な手法。by K. Hattori


 5月12日からシネマライズで「新藤兼人からの遺言状」と題する特集上映が行われ、そこで新藤兼人監督の作品22本が連続上映される。『裸の島』は昭和35年の作品で、モスクワ国際映画祭でグランプリを受賞している。瀬戸内の小さな島で、畑仕事をして暮らす一家の物語だ。夫婦と子供ふたりの貧しい生活だ。島には水がない。だから夫婦は朝まだ夜が明け切らぬうちから小舟で近くの島に渡り、桶に水をくんで島に戻ってくる。天秤棒で桶をかつぎ、小さな島の斜面に作られた小さな畑に水を運び上げる。桶から柄杓で水をすくい上げ、乾ききった畑の土に少しずつ少しずつ、まんべんなく水を撒いていく。そうやって膨大な手間をかけて採れるのは、小さな痩せ芋がわずかばかり。冬には畑に麦を蒔き、春にはそれを刈り入れる。そんな島での春夏秋冬を、一切の台詞を廃して描いた実験的な作品だ。

 台詞なしの映画ということで、つい最近観たイラン映画『ダンス・オブ・ダスト』を思い出した。だが『裸の島』はそれよりはるかにわかりやすい映画だ。実験的な手法は使っているが、独りよがりなところはひとつもない。台詞を完全にオミットすることで不自然に感じる場面もあるが、時折挿入される台詞にならない登場人物たちの声が、映画を観る側の心にグサリと突き刺さるような鋭さと重みを持ってくる。例えば祭の場面で出てくる老婆の歌。子供と遊ぶ父親の嬉しそうな声。子供を亡くした母親の嗚咽。たぶんこうした場面の鮮烈さは、普通に台詞が録音されている映画では生まれなかったに違いない。この映画が世界中に売れたことで、近代映画協会は潰れずに生き残ることができたという。あえてサイレントにすることで、季節の移ろいや人間の喜怒哀楽、家族の絆といった普遍的な要素が、映画の中から浮かび上がっているのだと思う。それこそが、この映画が世界中から受け入れられた理由だろう。台詞による説明が封じられることで、映画は簡潔で力強いものになっている。

 台詞がまったくなく、効果音なども抑制されている映画だが、それを補うのが音楽だ。テーマ曲のモチーフが何度も繰り返し登場するが、編曲によってある時は同じモチーフが明るい喜びのメロディーとなり、ある時は孤独と厳しさと哀愁をたたえたメロディーへと変貌する。しつこいくらいに同じメロディーが繰り返されるので、映画を観終わった後も、しばらくはこのメロディーが耳から離れなくなるほどだ。この音楽と芝居の組み合わせが、映画をじつにドラマチックなものにしている。

 この映画の製作については、昨年作られた新藤監督の映画『三文役者』の中でも紹介されていた。何もない島に最小限のスタッフとキャストが合宿しながら、新藤監督が独特の集団創造の手法を作り出した作品。台詞なしの実験映画という作品のスタイルも独特だが、製作についてもかなり実験的なことをしているわけだ。

 実験的映画というだけではなく、作品としてもよくできている。僕は途中で何度か涙ぐんでしまった。

2001年5月12日公開予定 シネマライズ
「新藤兼人からの遺言状」
主催:近代映画協会、アスミック・エースエンタテインメント 宣伝:ドラゴンフィルム
ホームページ:http://www.kindaieikyo.com/ (とりあえず)


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