I.K.U.

2001/02/07 徳間ホール
近未来の東京を舞台にしたサイバー・ポルノ映画。
話はぜんぜんわかりませんが……。by K. Hattori


 『ブレードランナー』的な近未来の東京を舞台に、究極のセックスアンドロイド“レイコ”の冒険を描いたファンタジー映画。監督は台湾生まれのシューリー・チェン。製作はUPLINK。プロデューサーは浅井隆。スタッフとキャストのほとんどは日本人だから、枠組みとしては、外国人監督を招いて作った日本映画というものだろう。「サイバー・ポルノ映画」と銘打つだけあって、映画は全編がセックス描写のオンパレード。性器のアップも多数あるようだが、日本ではそこに当然モザイクがかけられる。CGによる性器表現やイメージカットが幾重にも積み重ねられて、映画全体がミュージックビデオやCMのような凝った映像になっている。膨大なセックスシーンに、隠微さや卑猥さはまったく感じられない。

 もっともこの日の僕は花粉症の薬を飲んで頭がぼんやりしていたこともあって、じつは映画の筋立てをほとんど理解していないのだ。ウトウトしながらながめるスクリーンでは、入れ替わり立ち替わりさまざまなセックスが繰り広げられるだけ。町に放たれたアンドロイドたちが、セックスによるオーガズムのデータを収集するため、相手構わずセックスしまくるという設定なので、そこには口説き文句なし、前戯なし、後戯なし、睦言なし、恋愛感情なし、情緒なし、人情なしの、純粋な行為としてのセックスだけがある。こうしてセックスだけを突き詰めていくと、その先に何があるのか? じつはそのへんが僕にはよくわからないんだけれど、このあたりはつい先日観たドキュメンタリー映画『SEX/アナベル・チョンのこと』に通じるものがあるのかもしれない。この映画の中ではセックスの主体が女性型アンドロイドの側にあって、周囲の人間たちはデータ収集用のサンプルでしかない。レイコの姿に欲情してセックスしても、それはデータとしての価値しか持っていないのだ。これはポルノ女優のアナベル・チョンが、大勢の男たちの価値を「251人という数字を構成する中の1人」に置き換えてしまったのと同じことだろう。

 ペニスが女性器の中に入って射精する様子を、子宮側の視点で描く「プッシー・ポイント・オブ・ヴュー」というのはなかなかケッサク。ペニス中心のセックスという行為が、たかだか数センチの範囲で性器と性器をこすり合わせる行為でしかないという事実を、これほど端的に表しているシーンはない。

 プレス資料には物語のバックグラウンドや設定などがびっしりと書き込まれていたが、映画の方にそうした説明は特にないので、まずは1度映画を観て、資料に目を通して、再度映画を観ないとこの映画が何を言いたいのかはよくわからないかも。僕は眠りかけていた(いや、眠っていたのか?)という負い目もあるので、もう一度この映画を観るつもり。それにしても、今年は『LIES/嘘』『SEX/アナベル・チョンのこと』をはじめ、セックスをテーマにした映画が次々公開される。今の日本の観客が、それを欲しているということなのか……。

(原題:I.K.U.)

2001年4月公開予定 渋谷シネパレス 他
配給:アップリンク


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