悪名

2001/01/27 新宿昭和館
勝新太郎と田宮二郎が主演の人気シリーズの1作目。
田宮二郎の格好良さにしびれる。by K. Hattori


 勝新太郎と田宮二郎が主演した人気シリーズの第1作。昭和36年に製作された大映作品で、この映画のおかげで勝新も田宮二郎も大スターになったようなものだと思う。この映画は以前にも一度観ているが、今回は昭和館の番組編成上、たまたま再見することになった。でも映画の完成度が高いから、何度観ても退屈はしない。前に観たときは波瀾万丈の物語の面白さと、映画の中で完全に再現されている昭和初期の時代風俗、勝新の男っぽさなどに大いに注目していたのだが、今回改めて観ても、この映画の魅力の過半が田宮二郎演ずる“モートルの貞”にあるのは一目瞭然だと思う。勝新のノッソリした印象に比べると、田宮二郎ははるかにモダンで芝居もスピーディーです。他人の会話にサッと割り込むタイミングの良さは、単なる演出云々よりも持って生まれたキャラクターによるところが大きいと思う。タイミングだけでこうは気持ちよくならないと思うのです。

 勝新の演じるキャラクターは、『兵隊やくざ』でも『座頭市』でもどこか後ろに暗い影のようなものを引きずっている。それが勝新太郎の芝居を深いものにしてるのだし、観客と同じ生身の人間であることを即座に感じさせる。この映画で勝新演じる朝吉が見せる優柔不断さや、女性に対するある種の臆病さは、勝新自身のキャラクターでもあるのかもしれない。しかしモートルの貞にはそうした影がない。徹底して明るいキャラクターなのだ。そもそも「モートルの貞」という名前からして、従来のやくざ映画の定型からかなりはみ出した新人類。『悪名』の観客は朝吉の見せる弱さや優しさに共感し、同時にモートルの貞が見せる明るさや快活さに憧れる。このふたつの要素は「いい男」が持つふたつの矛盾した要素で、たぶんひとりの男が両方を持ち合わせることはできないに違いない。朝吉と貞のコンビは、互いに持ち得ない部分を共有し合うという点で最強なのだ。

 朝吉がこのキャラクターで最初から最後までもてもて状態というのが、じつはちょっとわからない映画だったりもする。故郷の村で出会い駆け落ちする人妻。松島の遊郭で出会う娼妓・琴糸(水谷良重)。すき焼き屋で働く中村玉緒。彼女たちは朝吉のどこに惚れるのか?

 主人公の朝吉はこの映画の中では「腕ぷしが強く、男気のある素人衆」として登場するが、その腕と度胸を見込まれたやくざの客分になったり、やくざの大親分と五分の杯を交わしたりする。この後シリーズが進むと朝吉は自分の一家を持つわけだけれど、この映画では「やくざに物怖じせず、喧嘩しても負けない男」という朝吉像を辛うじて作ることに成功している。主人公はこの映画の中で成長過程。映画の最後になって女親分に「あんたの名前が売れるやろう」と予告され、いよいよ世間に名乗りを上げる寸前に到達する。やくざになるのは簡単だけれど、そうなるのは「しょせん悪名やないけ!」という含羞がこの映画にはある。いろんな意味で面白い映画。『続悪名』がまた観たくなった。



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