赤穂城断絶

2000/12/28 新宿昭和館
萬屋錦之介が大石内蔵助を演じる東映の忠臣蔵。
作りはきわめてオーソドックスだ。by K. Hattori


 『柳生一族の陰謀』と同じ年に封切られた東映の忠臣蔵。主人公の大石内蔵助を演じるのは、『柳生』と同じ萬屋錦之介。戦後の時代劇スターを代表する萬屋錦之介は当然何度も忠臣蔵の映画に出ているが、主人公の大石を演じたのはこれが最初で最後だったようだ。この映画は『柳生』をあてた東映が、錦之介への義理立てで作ったような作品だと思う。錦之介主演の東映大作時代劇はその後も何本か作られているが、『赤穂城断絶』の後は『真田幸村の陰謀』『徳川一族の崩壊』など、最初のヒット作『柳生一族の陰謀』を後追いするような企画が続いてこの路線も尻すぼみになってしまう。錦之介が最後に東映の映画に出たのは、松方弘樹主演の任侠ヤクザ映画『最後の博徒』だった。なんだかなぁ……。

 『赤穂城断絶』は映画の作りとしてはかなりオーソドックスな忠臣蔵。松の廊下の刃傷事件から内匠頭の切腹、赤穂開城、浪士たちと吉良側の暗闘、そして討ち入り、浪士たち全員の切腹へと続く。映画の中では内蔵助が書画をたしなむ風流人として描かれ、高家筆頭の吉良上野介と対比されている。しかし内蔵助は文武両道の武士の鏡。上野介は殿中で斬りつけられても刀に手さえかけなかった臆病者で、風流の世界でも俗物として描かれる。上野介を演じているのは金子信雄。上野介がどこか生臭いのは、この配役による必然なのだ。

 物語はオーソドックスだが、この映画は特徴的なことが2点ある。ひとつは暴力シーンの過激さ。忠臣蔵はチャンバラ映画ではないが、それでも最後の討ち入りシーンではかなり壮絶な立ち回りが展開する。板戸や障子を蹴破り、室内や庭で肉体と肉体がぶつかり合い、もつれ合う様子はすごい熱気。この映画にみなぎる熱気は、浪士たちの復讐劇を様式美や精神的カタルシスから解き放ち、暴力描写を突出させる。この乱闘は「討ち入り」という言葉より、「集団殺戮」という言葉こそが似つかわしい。内蔵助が上野介を刺し殺す場面も、大願成就というより「殺人現場」という感じなのだ。こうした暴力性の突出は、内蔵助が切腹するシーンでも目立つ。庭にズラリと並んだ浪士たちの棺桶。最後のひとつが口を開けて、内蔵助の死を待ちかまえている。介錯の刀が一閃すると、『仁義なき戦い』でヤクザが殺されたときのような音楽が流れて、観客をぎょっとさせる。

 もうひとつこの映画でユニークなのは、近藤正臣が扮する浪士から脱落して行く男を、重要な脇のエピソードにしていること。舞台が江戸から赤穂に移ったとき、最初に出てくるのがこの若い赤穂藩士の婚礼だから、映画の中では彼が重要なポジションにいることがわかる。内蔵助切腹の場でも、この浪士に代表される脱落組について触れられている。浪人暮らしの中で金を使い果たし、女房を女郎に売って酒に溺れて行く彼の姿は、後に『忠臣蔵外伝・四谷怪談』でより深く掘り下げられていく浪士像の原型だろう。『赤穂城断絶』という映画の中で、もっとも魅力的なキャラクターのひとりだと思う。



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