柳生一族の陰謀

2000/12/28 新宿昭和館
昭和53年に東映が社運をかけて製作した本格時代劇。
荒唐無稽でアイデア盛りだくさん。by K. Hattori


 昭和53年に製作された東映の大作時代劇。実録ヤクザ路線で東映のスター監督だった深作欣二にとっては初めての時代劇挑戦であり、東映としては本格的な時代劇の製作が11年ぶり、主演の萬屋錦之介にとっては12年ぶりの東映復帰となった記念すべき作品だ。スケールの大きな本格時代劇として、興行的にも大ヒットした。

 徳川二代将軍秀忠の急死によって、幕府には三代将軍擁立を巡るお家騒動が勃発する。家督を相続したのは兄の家光だが、利発な弟の忠長こそが天下の総大将に相応しいとの声もあり、幕臣たちも家光派と忠長派に分裂。じつは先代将軍の死には秘められたスキャンダルがあった。秀忠は嫡男の家光を廃嫡し、弟の忠長に将軍職を継がせるつもりだったらしい。この動きを察知した家光派が、将軍の毒殺という非常手段に出たのだ。将軍家の剣術指南役である柳生宗矩は家光に加勢。権謀術数を巡らし、一族の総力を挙げて忠長の失脚をはかる。一方の忠長派もこれに対抗。諸大名や宮廷と通じて家光の将軍職就任を阻止しようとするのだが……。

 徳川幕府の基礎を盤石のものにした名君として知られる家光を悪役にし、乱暴者として歴史に名を残した忠長を名君の器を持つ利発な男として描いた発想の逆転。「もしも」があり得ない史実を大胆に脚色して、奇想天外な大チャンバラを作り上げている。深作欣二監督が描こうとしたのは、時代劇版の『仁義なき戦い』だろう。権力を握るため、子が親を殺し、兄弟が殺し合う。人間の命を捨て駒にし、昨日までの友を裏切り、卑劣な手段で敵を倒す。最後に生き残った者だけが、すべての権力を独り占めにするサバイバルゲーム。「親にあっては親を殺し、仏にあっては仏を殺す」ことで初めて得られる権力の甘い蜜。登場人物たちはギラギラと己の欲望をむき出しにし、目的達成のためには手段を選ばぬ暴力性を身体中から噴出させる。しかしそんな中で、萬屋錦之介演じる柳生宗矩だけは、泰然自若として少しも動じない。

 数年前に萬屋錦之介が亡くなったとき、深作監督がこの映画について話していた。監督は全体をリアリズムで演出しようとしたのだが、錦之介だけは歌舞伎のような大げさな台詞回しと様式化された芝居で柳生宗矩を演じた。これは必ずしも監督の意図するものではなかったが、完成した映画を観ると、役柄を一番理解していたのは錦之介だということがわかった云々。荒唐無稽なこの映画に、錦之介が時代劇としての芯を一本通しているのだ。ここに錦之介がいなければ、この映画は実録やくざ映画の登場人物たちが時代劇の扮装をして暴れ回る、へんてこなパロディ映画のようになってしまったに違いない。「殺陣 チャンバラ映画史」の永田哲朗は、『あくまでもオーソドックスな錦之介が芯になっているからこそ、軽くならずにすんだし、いろいろな試みが成功もしたのだ』と書いているが、これはまったくその通りだろう。

 22年前の映画。出演者がみんな若い。死んじゃった人も多いなぁ。監督が一番元気かもしれない。



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