火垂

2000/12/11 イマジカ第1試写室
若いストリッパーと焼き物職人の不器用な恋。
河瀬直美の最新はやはり奈良が舞台。by K. Hattori


 '97年、『萌の朱雀』でカンヌ映画祭のカメラドールを受賞した河瀬(仙頭)直美の新作は、奈良の小さな町を舞台にしたラブストーリーだ。(資料では監督名が河瀬直美になっているのだが、タイトルでは仙頭直美になっている。どっちが正しいのだろうか……。)主演は新人の中村優子。相手役は永澤俊矢。脇に山口美也子。プロデューサーは仙頭武則。サンセントシネマワークスの他作品同様、この映画も尺が長い。2時間44分もある。仙頭プロデューサーの他の作品には、それなりに長くなるだけの理由があったように思う。『EUREKA(ユリイカ)』は時が人を癒すというテーマを描くためにあれだけの尺が必要だったのだろうし、『五条霊戦記//GOJOE』はそれなりに波瀾万丈、『独立少年合唱団』もエピソードが盛りだくさんだった。でも『火垂』はそうした明確な要因が見あたらない。若いストリッパーと焼き物職人が出会って一緒になるという、ただそれだけの話は、エピソードを効果的に積み上げていけば同じことが1時間半か2時間で描けてしまうだろう。それをわざわざ3時間近い時間に引き延ばすのは、この映画が下手くそだからなのか? 必ずしもそうではない。

 映画作りの定石は、事件や心の動きを象徴的なエピソードに凝縮し、それをつなげることで物語を作っていく。人物と人物がぶつかり合って火花を散らし、化学反応のように人物の性格付けや位置づけが変化する。もつれた葛藤の糸が、あるきっかけでパッと解決するカタルシス。ハリウッド映画などは、すべてそういう作り方をしている。でも『火垂』にそうしたカタルシスはない。事件はダラダラと起こり、いつの間にか核心に入り、気がつくと次のエピソードに移っている。登場人物たちが一瞬で変身することもない。互いに影響を及ぼしながら、人物たちは少しずつ相手の色に染まり、相手を自分の色に染めていく。すべてのプロセスが、じつにゆったりとしているのです。もちろん映画的な省略や飛躍もあるし、感情が爆発するシーンもある。でもそこには観客が「待ってました!」と膝を打つようなカタルシスはない。

 東大寺二月堂のお水取りや、元興寺の万燈会、ストリートミュージシャンの前で始まる即興のストリップ、夜の闇の中で赤々とした炎を吹き出す窯など、時にドキリとするような美しい映像や、面白いエピソードも混じっている。しかしそれと同じぐらい、だらだらと意味もなく手持ちカメラで長回しした不愉快なシーンもある。例えば冒頭近くにある、駅のホームで幼いあやこと恭子が同じベンチに座っているシーン。これ見よがしにカメラがぐるぐる動き回って、じつにうっとうしい。あやこが母親と若い男の情事を目撃するシーンも不快だった。ところがその直後、あやこがアパートの階段を駆け下りる場面のスローモーションは、夢の中の風景のように美しかったりする。でもその後、成長したあやこが出てくるシーンはすごく汚い。この美醜のアンバランスさは、必ずしも計算しているものではないんだろうなぁ……。

2001年3月上旬公開予定 テアトル新宿、テアトル梅田他
配給:サンセントシネマワークス、東京テアトル 宣伝:ライスタウンカンパニー


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