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2000/12/06 映画美学校試写室
廃寮が決まった東大駒場寮に勝手に住み着く人たち。
記録映像と音によるコラージュ。by K. Hattori


 東大構内に駒場寮という学生寮があって、数年前からその廃寮を巡って学生と大学側でかなり大もめにもめていたらしい。廃寮の理由は老朽化ということだけれど、学生は大学側が一方的に廃寮を決めて電気やガスの供給を止めてしまったことに抗議し、学外者の協力も得て寮内に居座り続けた。学校まで徒歩0分のところに寮があり、しかも月の家賃が数千円だというのだから、そりゃ入寮者にとって廃寮はこたえるでしょう。新しい寮はあるそうだけど、それは駒場寮ほど便利なところにあるわけじゃない。しかし現実問題として駒場寮は最近の学生に人気がなく、空室が目立っていたというのだから、大学側が廃寮を決定するのもやむを得ないような気がするけど。ほとんどの学生は便利な駒場寮に見向きもせず、数万円の家賃を払ってアパートやマンションを借りている。要するに駒場寮は、学生寮としての役割を終えていたってことじゃないのかな。寮の運営は学生の自治に任されているとはいえ、土地や建物自体は大学のもの。代替の寮まで用意して明け渡しを求められたら、すんなりと引っ越すのが筋だと思うけど……。これは東大にも駒場寮にも、まったく無縁の僕の感想。

 この映画は廃寮が決まった駒場寮を舞台に、そこに暮らす若者たちの生活、学外者も含めた彼らの活動、大学当局の対応、ガードマンによる入居者の排除、重機による建物の取り壊しなどを撮影したドキュメンタリー。映像はどれも細切れの断片で、駒場寮を巡る映像によるコラージュという雰囲気に仕上がっている。この映画が面白いのは、撮影する側が寮の入居者側に立ちながらも、じつはその主役である入居者たちのほとんどが、東大の学生ではないということにある。

 監督の長谷井宏紀は住所不定、定職なしのアーティストで、駒場寮には勝手に荷物を運び込んで勝手に暮らしている。放棄されている建物にアーティストたちが勝手に住み着いてそこを活動拠点にする事を「スクウォッティング(squatting)」と呼ぶそうだが、長谷井たちはまさにスクウォットを決め込んでいるわけだ。学生の自治を叫ぶ学生たちと同じ空間を共有しながらも、それとはまったく違う立場にいるスクウォッターたち。一方は家賃を払って入寮している学生であり、一方はその場に仮の宿を築いたボヘミアン。共に駒場寮を生活や活動拠点とし、建物の取り壊しに反対の立場をとっていても、立っている場所がまったく違う。建物に居座り抵抗を続ける学生たちを撮影し、暴力的に反対派学生を排除するガードマンたちを冷ややかに見つめながらも、カメラが妙に醒めているのはそんな事情があるのかもしれない。

 この映画は駒場寮廃寮問題を、スクウォッターというアウトサイダーの立場から記録しているわけだが、別に何かを訴えたり主張したりするわけではない。これは映像による心象スケッチであり、映像による日記帳であり、映像と音によるアート作品なのだ。映画だけ観ても、何のことだかさっぱりわからない作品だと思う。

2001年2月中旬公開予定 ユーロスペース(レイトショー)
配給:スタンスカンパニー 宣伝:スローラーナー


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