ヘルレイザー
ゲート・オブ・インフェルノ

2000/12/01 徳間ホール
殺人現場から小さな細工箱を持ち帰った刑事。
『ヘルレイザー』シリーズ第5弾。by K. Hattori


 クライヴ・バーカーの小説と映画をもとにした、人気ホラーシリーズ最新作。バーカー本人が監督した『ヘルレイザー』から数えて5作目にあたるが、今回はピンヘッドや魔道士、パズルボックスなどの共通項を持ちながらも、1作目から4作目の世界とは独立した番外編になっているらしい。「らしい」と書くのは、僕がこのシリーズをまったく観ていないからなのだが……。

 デンバー警察の刑事ジョセフ・ソーンは勤続18年のベテランだが、仕事への情熱も家族への愛情も消え失せ、今は精神的に怠惰な日々を生きている。仕事はそつなくこなす。人間関係においても、特に問題を起こすことはない。趣味はチェスとマジックだが、それもただの手慰み。今では麻薬と酒と女を買うことだけが、彼の生活のわずかな刺激だ。そのための金は、タレコミ屋を脅して奪ったり、押収品からちょろまかしたりする。でもボロは出さない。絶対の安全が保証された場所でのささいな逸脱行為を、とがめられる人は誰もいない。そんな彼が、殺人現場で拾った小さな細工箱。若い街娼としけこんだモーテルの部屋で、その箱は静かに動き始める。

 連続猟奇殺人に巻き込まれた主人公が、我が身に降りかかった嫌疑を晴らすために真犯人を捜そうとするミステリーが映画の中心。殺人現場で発見される子供の指。それはジョセフに対する警告なのか? 事件の背後にいる“エンジニア”とは何者なのか? 物語は『セブン』に代表される猟奇犯罪ミステリーの筋立てをなぞるように進行するが、その先にあるのは日常の因果律では解明できない不可思議な心の迷宮だ。

 刑事という条理と形而下の世界で推理を働かせることを職業とする人間が、パズルボックスに導かれて不条理世界に踏み入れてしまうというアイデアは面白い。しかしこの映画が中途半端なのは、主人公が自分のいる世界の正体に気付いたところで物語が閉じられてしまうことだ。この男がどんな世界に投げ込まれたかは、この映画を観ている観客なら最初から知っている。それに最後まで気付かないのは主人公だけだ。観客と主人公の世界に対する認識ギャップは、観客がこの主人公に感情移入することを妨げてしまう。主人公が自分のいる世界を正しく認識したその瞬間から、彼と観客の間には同じ土俵に登った者同士の連帯感が生まれるのではないだろうか。チェスの素人チャンピオンであるジョセフが、自分の巻き込まれたゲームの正体を知るまでを30分繰り上げ、最後の30分はそのゲームから脱出しようともがくジョセフの姿を描いた方がよかったと思う。脱出への光明を一度は主人公に見せ、そこから再度奈落の底に突き落とした方が、主人公の絶望と恐怖は大きくなるはずだ。

 ビジュアル面での見せ方にも、もっと様々な工夫の余地はあったと思う。ピンヘッドや魔道士が出てきてもまったく恐くないのは、監督側に「とりあえずお約束だから出しておこう」という程度の気持ちしかないからだと思う。無言のカウボーイとかの方が恐いしなぁ……。

(原題:HELLRAISER / INFERNO)

2000年12月23日公開 新宿ジョイシネマ3
配給:ギャガ・コミュニケーションズ 宣伝:オムロピクチャーズ


ホームページ
ホームページへ