クリスマスにプレゼントを
選ぶこともなく

2000/11/30 20世紀フォックス試写室
師走の東京を舞台にしたクリスマス・ストーリー。
何も起こらなくても面白い。by K. Hattori


 欧米の映画には「クリスマス・ストーリー」というジャンルがある。クリスマスを舞台にした、ちょっと楽しいお話や、不思議な話、心温まるお話などだ。こうしたクリスマス・ストーリーは新聞や雑誌のコラムにルーツがあるらしく、映画『スモーク』の中にはウィリアム・ハート扮する作家が、ハーヴェイ・カイテルからとびきりのクリスマス・ストーリーを聞き出すシーンが出てきた。信仰心のあるなしに関わらず、クリスマスというのは1年の中でもっとも奇蹟が起こりやすいシーズンらしい。奇蹟といっても、超自然な出来事が起きるわけじゃない。日常の中に働くささやかな偶然が積み重なり、そこでは離ればなれになっていた人が出会い、孤独に震える人は慰められ、傷ついている人は癒される。そこに見えざる大きな手の働きを感じ取るのが、クリスマス・ストーリーというものなのかもしれない。あいにく日本には、そうしたクリスマス・ストーリーの伝統がない。師走はただ忙しいシーズンであり、クリスマス云々以前に、お正月を迎える前の準備にあてられているようだ。そこでは奇蹟なんて起こらない。

 この映画は日本には存在しないクリスマス・ストーリーを、日本の風景の中で成立させようとした作品だ。主人公ナオコは雑誌編集者。12月のある日、彼女は突然思い立ってアパートの引っ越しをする。年末進行で締め切りが繰り上がっているにもかかわらず、担当の作家・佐山は「本当はまだ余裕があるでしょう」「僕は小説家です。締め切りは守ります」と言っては書斎から逃げ出してしまう。そんな老作家を追いかけて書斎に連れ戻し、尻をたたいて原稿を書かせるのがナオコの仕事だ。引っ越して以来、彼女は何人かの人と出会う。脱サラして自転車屋を始めたという中年男。自分の母親を「キョウコ」と呼び捨てにする小学生の男の子。ナオコの住んでいた部屋を借りようかと迷っている女性。バラバラに見えていた「出会い」の断片は、やがてひとかたまりになって、ナオコの前にその正体を現すのか……?

 主人公ナオコは特別どうこうというキャラクターでもないのだが、そこにいるだけで「ああ、こんな人っているようなぁ」というリアリティを感じさせる。話としては脇のキャラクターたちが生み出すエピソードが面白い。脱走と締め切り破りの手練手管に長けた老作家。部屋に自転車を溜め込んだ自転車屋の「自転車の練習には部屋の中が一番」という理屈も、妙に説得力があったりする。小学生の少年が、自分の母親を妙に冷静に観察している姿も思わずニヤニヤ。画面に登場した途端、「あの子の母親に違いない」と観客に確信させる高田聖子。

 この映画に描かれているのは、さまざまな人たちの出会い。そして別れ。具体的に誰かと誰かが結ばれるとか、誰かと誰かが大親友になるという話ではないけれど、人と人が見えない絆でつながっていく様子が、なんとも暖かいのです。ナオコが郷里の母親のところに電話をするエピソードも、人とのつながりを示すエピソードです。

2000年11月28日から12月2日まで 東京国際フォーラム・映像ホール
配給:ピクチャーズ・オブ・ミクロコスモス


ホームページ
ホームページへ