ツィゴイネルワイゼン

2000/10/17 徳間ホール
原色と幻想が乱舞する鈴木清順監督の映像美世界。
これで音がもっとよければなぁ……。 by K. Hattori


 今ではすっかり役者業に専念している鈴木清順監督が、今から20年前の昭和55年(1980年)に撮った作品。内田百聞の「サラサーテの盤」をもとに、現実と幻想が入り混じる奇妙な映像世界を作っている。帝大教授の青地と、元同僚で親しい友人でもある中砂の交流を軸に、ふたりが旅先で出会った芸者・小稲、小稲と瓜二つの中砂の妻・園の奇妙な関係、さらに青地の妻・周子、その妹で肺病で入院中の少女、門付けをする三人組の盲いた芸人たちなどが物語の中に入れ替わり立ち替わり現れる。大正浪漫を歌い上げたロマンチックでノスタルジックな映画なのかと思いきや、これがじつに奇妙な、不条理ホラーとでも言うべき展開を見せる。

 物語が難解だとは思わないが、一見現実と思える空間の中に、夢と妄想と幻想が入り混じり、中盤以降はそこで何が起きても不思議ではないような世界が出来上がる。人物の声、効果音、音楽などが画面から浮き上がり、はがれ落ちる寸前にそこで踏みとどまっているような危うさ。映画の中では水蜜桃を食べている周子が「果物は腐る寸前が美味しい」と言っているが、この映画もまさにそういう感じなのだ。物語の個性、演じている役者の個性、風景の個性、小道具や衣装の個性などが、それぞれに強烈な自己主張をしてぶつかり合い、映画の枠組みを壊して外に飛び出していく寸前の状態。それぞれの要素が叫び、踊り、歌い、はね回り、転げ回り、映画という巨大な鍋の中でグツグツと煮え立っている。この映画を観る者も否応なしにその中に巻き込まれ、あちらこちらに引きずり回され我を忘れてしまう。

 ニュープリントの絵は真新しい映画のように鮮やかだが、音が貧弱なのは残念。音の印象だけで、これがひどく古い映画に思えてしまう。物語の発端となるモチーフはSP盤のレコードに吹き込まれたサラサーテの謎のつぶやきというものだし、印象的な音や音楽や台詞なども多い。これをデジタルでリミックスし直せれば、21世紀に通用する映画になったと思うのだ。最近のドルビー・デジタル慣れした耳で聴くと、「ここにもっと音の広がりがあれば」「ここで音の移動があれば」などと考えてしまう。無い物ねだりなんだけど……。

 荒戸源次郎が自分自身の映画製作会社シネマプラセットで作ったインディーズ映画で、東京タワーの駐車場に作った可動型ドーム劇場で封切られ大ヒットしたらしい。なにしろ20年前の話で、僕はまだ田舎の中学生。すべては後から聞いた話だ。キネ旬の1位。日本アカデミー賞でも、作品賞、監督賞、助演女優賞、美術賞などを受賞している。この頃はインディーズ映画にも賞を出していたのか……。

 2時間半近い長尺の映画だが、次々登場するイメージの鮮烈さに目を奪われて、まったく飽きることがない。原田芳雄のヘンテコな踊りが長いかなとも思ったけど、その後の急展開はこの長いタメがあるから存在できるのだろう。終盤の怪談話めいた展開が、最後の最後に大逆転して、これは『ジェイコブズ・ラダー』か?


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