鬼極道

2000/10/17 東映第2試写室
脚本も演出も何も考えていない安いヤクザ映画。
的場浩司と加勢大周が主演。 by K. Hattori


 直前に『DEAD OR ALIVE 2/逃亡者』を観ていたので、哀川翔出演映画の2本立てになってしまった。ただしこちらは脇役での出演だ。主演は的場浩司と加勢大周。梅沢一家の若頭・伊庭義貞は親分を対立する綱島組に殺されるが、自分は服役中で何もできず、出所してきたときには梅沢と綱島の間で手打ちが成立していた。梅沢の跡目を継ぐことを拒否し、組からの除名を願い出た伊庭。彼は自分を慕うふたりの舎弟を従えて、たったひとり綱島に報復する機会を狙っていた。そんなとき伊庭が盛り場で出会ったのが、綱島と同盟関係にある創仁会の財前悟道だった。ふたりは互いに、相手に自分と同じ孤独なはぐれ者の匂いをかぎつけるのだ。伊庭を演じているのが的場浩司で、ぼっちゃんそだちの財前を演じるのが加勢大周。脚本は武知鎮典。監督は和泉聖治。

 あまり面白くない映画だが、終盤はそこそこ観られるものになってくる。これは登場人物たちの位置関係が、映画の終盤でようやく確定するからだろう。映画の前半は、伊庭も何をやろうとしているのか意味不明だし、財前も何を考えているのかさっぱりわからない。中盤は物語が解体寸前になるほど脚本がメロメロ。しかし伊庭がドツボにはまって生き残る道を失い、財前がそんな伊庭に少しずつ肩入れし始めると、物語は求心力を持ち始める。映画の後半で生まれるこの求心力が、映画の序盤からあるとよかったのだが、生憎この映画は最後の最後にちょっと持ち直したところで終わってしまう。もっとも残念と言っても、そこからあと30分も1時間も映画が続いては困るのだけれど……。

 的場浩司も加勢大周も、力みかえった芝居が続いてまったく退屈。なぜこんなに一本調子な芝居をして、わざわざ演じている役柄の幅を狭めてしまうのだろうか。的場浩司は『突破者太陽傳』のように、少し三枚目が入った方が表情が豊かにほぐれてくるし、演じている人物像も魅力が増してくる。加勢大周もくつろいだ笑顔が魅力的な俳優。それなのにこの映画の中では、ふたりのそんな魅力がまったく生かされていない。ふたりがヤクザの顔をするときは、緊張していても構わない。でも年がら年中同じ顔を崩さないのはもったいない。日頃は緊張の中で表情をこわばらせている主人公たちが、ふたりきりで話すバーではくつろいだ表情を見せるという設定にした方がいいと思う。そうすればふたりを見つめている夏樹陽子の存在も生きてくるし、ふたりが暴力をむき出しにする姿との落差も生まれて迫力が出てきたと思う。打算も駆け引きも何もなく、出会った途端に相手に胸襟を開いてしまう男同士のつき合い。そんな関係がきちんと描けていれば、「男同士のつき合いに長い短いは関係ない」という台詞も生きてくると思う。

 映画の中盤に出てくるサラ金襲撃のエピソードなどは、粗雑すぎてまったくいただけない。破れかぶれの男たちが起こす事件にしたって、あんなにすぐに足のつく方法をとるのはバカげている。一気に白けてしまった。


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