天国までの百マイル

2000/10/11 メディアボックス試写室
浅田次郎の原作をチームオクヤマが映画化。
望月六郎が撮れば傑作になったのに。by K. Hattori


 浅田次郎の同名小説を、奥山和由のプロデュース、時任三郎と八千草薫の主演で映画化したヒューマン・ドラマ。監督はこれが劇場映画3作目の早川喜貴。主人公は事業に失敗して借金まみれになり、最後は破産してすべての財産と妻子を失った城所安男。友人の会社に拾ってもらい、何をするでもなく給料をもらっているが、それは子供の養育費としてすべて右から左に消えてしまい、今は中年ホステスのマリに食わせてもらっている状態。そんな彼のところに、母が心臓発作で倒れたという知らせが届く。大学病院の教授は難手術に二の足を踏むが、それは黙って死を待つようなもの。若い医師から鴨川に世界的にも評価が高い心臓外科の名医がいると聞かされた安男は、母親を自分の運転するバンに乗せてその病院まで運ぼうとする。東京の病院から鴨川の病院までの移動距離は160キロ。ちょうど100マイルだ。

 浅田次郎の小説を僕はまったく読んでいないのだが、「読めば絶対に泣ける」ことで読者には定評があるらしい。浅田次郎原作の映画は『ラブ・レター』『鉄道員(ぽっぽや)』などがあるが、どちらも観客を大いに泣かせようと工夫を凝らしていた。しかし今回の『天国までの百マイル』はほとんど泣けない。泣かせどころは無数に存在するのに、涙腺がぴくりとも反応しないのだ。泣けなかった理由は3つある。第1はキャスティングの失敗。第2はテーマの把握の仕方が間違っていること。第3は演出が冴えないことだ。

 まずキャスティング。主演の時任三郎についてはテーマにも関わる問題なので後回しにするとして、問題は主人公を愛するホステス役が大竹しのぶだったこと。この物語は主人公をはさんで、彼を捨てた元妻と、捨てられた彼を養うホステスが対照的な位置に立っている。ここではこのホステスを、羽田美智子が演じる元妻と同年輩に設定しないとバランスが悪い。もっともこの映画で唯一泣ける場面は大竹しのぶが作っているのだが、これは彼女の演技力云々より、原作が持っていた台詞の力だと思う。第2の作品テーマだが、これは世間からドロップアウトして周囲からも完全に見捨てられたダメ男が、最後にちょっと意地を張ることで再生して行くドラマだろう。ところがこの映画の中の時任三郎は、まったくダメ男に見えない。能力があるのにそれを発揮しようとしない、ただのグウタラに見えてしまう。ダメ男は何をしてもダメな男なのであり、何もしようとしないグウタラとは根本的に違うのだ。最後に演出の問題だが、この映画は泣かせどころになる会話シーンで、ほとんどカットを割らないしカメラも動かさない。映画ではカット割りやカメラの動きが登場人物の心の動きを観客に伝え、エモーショナルな感動を生み出す手助けをする。でもこの映画は、ただぼんやりと木偶の坊である。

 この話はダメ男を演じれば日本一の奥田瑛二の主演、ダメ男を撮らせれば日本一の望月六郎監督という『皆月』コンビで映画化すべきだった。


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