うつしみ

2000/10/06 ぴあ試写室
ドキュメンタリーとドラマをミックスした園子温監督の新作。
このスピード感がたまらなく快感。by K. Hattori


 『自転車吐息』『部屋』『桂子ですけど』などの作品で知られるインディーズ映画界のカリスマ、園子温(その・しおん)監督の新作。写真家の荒木経惟、舞踏家であり俳優でもある麿赤児、ファッション・デザイナーの荒川眞一郎などの仕事ぶりを撮影したドキュメンタリーと、園子温の映画撮影準備風景、そして俳優たちが演じるドラマが重層的に積み重ねられた不思議な映画。テーマになっているのは人間の肉体。タイトルになっている『うつしみ』とは、現実に存在し手で触れられる「現し身」のことであり、同時に人間の妄想や想像の中にだけ存在する「虚し身」のことでもある。撮影はほとんどがビデオで行われ、それを16ミリに変換している。

 アラーキーこと荒木経惟、麿赤児、荒川眞一郎、そして園子温などの仕事を記録したドキュメンタリー部分には、相互の関連があまりない。写真家は女の裸体を撮影し、舞踏家は肉体を通して表現活動を行い、デザイナーは肉体を装うための服を作るという点で、それぞれが密接に人間の肉体と関わっているという点で、この映画のテーマと結びついているだけだ。しかしこのテーマが映画の中では常に一貫して強く打ち出されているので、一見バラバラに存在しているかに見える3人のアーティストの活動も、テーマを通じて強く結びついている。強烈な個性同士がぶつかり合う場面は観られないが、個性と個性はテーマによって固く結びついている。

 ドラマ部分もかなり強烈なのだが、このパートは映画作りを進める園子温監督本人やスタッフたちの様子を描くドキュメンタリーを介して、他のドキュメント部分と違和感なく橋渡しされている。この映画作りドキュメントで強調されているのは、台本を読み合わせするスタッフたちの「声」だったりする。さらにドラマの中にだけ存在する「虚像」としての肉体が、映画出演者のオーディションを兼ねたアラーキーの撮影現場に登場するという、ドキュメンタリーとドラマの奇妙な二重性。ここでは「現し身」と「虚し身」が、SF的とすら思える同調を見せるのだ。まるでドラマの中の出来事が、現実の世界の写し絵、つまり「写し身」のように見える。あるいは逆に、ドラマの中の肉体こそが本物で、ドキュメンタリーに登場する側こそが「写し身」なのか。

 映画全体の構造がこんな具合にぶっ飛んでいるので、ドラマ部分の内容もそれに負けずに相当ぶっ飛んでいる。惚れたおでん屋の主人に処女を捧げようと決心した女子高生が、渋谷の忠犬ハチ公像を引きずって相手の男に押し掛けるという馴れ初めもかなり狂っているが、このドラマ部分で中心になるのが「走る」という行為。女子高生が走れば、それに合わせておでん屋も走る。走って走って息が切れ、心臓が爆発しそうになり、筋肉が引きつり、足がもつれ、身体がバラバラになりそうになっても、走って走って走り続ける。それだけ走ってさんざん体力を消耗しても、その後セックスしちゃうんだから偉い。走る体力とアッチの方は別なんでしょうかねぇ。


ホームページ
ホームページへ