天井棧敷の人々

2000/10/04 映画美学校試写室
マルセル・カルネが1945年に完成させた彼の代表作。
19世紀パリの劇場街を舞台にした悲劇。by K. Hattori


 5年前にも銀座テアトル西友(現・銀座テアトルシネマ)で観た映画だが、その時は少し眠ってしまい残念なことをした覚えがある。今回は事前に眠気覚まし対策をしっかりして挑んだのだが、やっぱり途中で少し眠くなってしまった。どうもこの映画とは相性が悪い。

 ナチス占領下のフランスで、『北ホテル』『悪魔が夜来る』のマルセル・カルネ監督が作った3時間10分を越える大作。この上映時間は資料によってまちまち。今回の上映は休憩をはさんで全部で3時間12分ほどだったが、上映前のアナウンスや手渡された資料では3時間15分になっているし、資料に載っている山田宏一さんの原稿には3時間17分という記載があるし、僕の持っている「ぴあシネマクラブ」には3時間10分(190分)と書いてある。どれが正しいのか、これじゃさっぱりわからない。19世紀パリの劇場街で、ひとりの女を巡って恋と欲望の駆け引きが行われる話。劇場内の見せ物小屋で働いていた美女ガランスは、強盗のラスネールと互いを拘束し合わない自由な愛人関係にある。そんな彼女を見かけてすぐ口説こうとするのは、自称天才役者のフレデリック。彼女に一目惚れするのは、天才パントマイム役者のバチスト。物語の終盤ではここに、財力で彼女を囲いものにしようとするモントレー伯爵が加わって、女ひとりに男4人という奇怪な相関関係が発生する。

 人物のひとりひとりに公平にエピソードが分配され、その結果が3時間10分超という上映時間になっているのだと思う。物語の中心はガランスとバチストであり、第2部ではそこに、彼をひたむきに愛する座長の娘ナタリーが加わって三角関係になる。しかしこの三角関係は、現代の観客の目から見るといささか陳腐かもしれない。むしろ僕は女たらしのフレデリックがガランスに捧げる純情や、無頼漢ラスネールの強情っぱりぶりなど、脇の人物たちが面白いと思った。たぶんこの映画の中で一番面白くない人物は、純情一直線のバチストとナタリーだろう。数多くの男の腕の中をくぐり抜けてきたガランスは、自分に想いを寄せながらも身体を求めようとしなかったバチストの純情ぶりにほだされ、自分を純愛劇のヒロインに見立てているだけなのだ。だから彼女はバチストと寝るや、彼のもとを去って雑踏の中に消える。

 彼女のバチストを愛しているという言葉に、嘘偽りはないだろう。だがそれは、彼女自身がバチストに過大な期待をしたことによる錯覚かもしれない。彼女は生まれながらに、女は男の慰み者として生きるものだと思い知らされている。口先だけで調子よく女を口説く男。女を暴力的に支配しようとする男。女を経済力で我がものにしようとする男。フレデリック、ラスネール、モントレーは、そうした男たちの典型なのだ。そんな中で、バチストだけはすこし毛色が変わっている。だから彼女は彼に惹かれる。でも彼女自身は、自分が軽蔑する薄汚い男たちの中でしか生きられない。その矛盾こそが、ガランスというヒロインの悲劇なんだと思う。

(原題:Les enfants du paradis)


ホームページ
ホームページへ