インビジブル

2000/08/22 ヤマハホール
ポール・バーホーベン監督が描く現代版の透明人間。
ケビン・ベーコンが姿を見せない熱演。by K. Hattori


 中国の古典大学に曰く「小人間居して不善を為す」と。「君子は必ず其の独りを慎む」という言葉とペアになっている言葉であることからも、人間というものは他人の目が自分に届かないと思えば、そこでどんな悪事でもやってのけるという意味に解釈するのが通例のようだ。別の解釈によれば、「間居」とは暇になるという意味だという。この映画に登場するセバスチャン・ケイン博士は、まさにこの言葉を立証する見本のような人物だ。彼は人間透明化実験のモルモットとして自ら名乗りを上げたものの、透明になった身体が元に戻らなくなった途端、それまでの勤勉な研究者としての顔を失って、利己的な悪魔のような人間へと堕落して行く。透明だから他人の目は気にならない。実験室に閉じこめられているから退屈でしょうがない。まさに「小人間居して不善を為す」だ。

 透明人間になりたいという欲望は、空を飛びたいという願いと共に、人間が太古の昔から持つものだと思う。子供たちが熱中するかくれんぼ遊びには、仲間たちの前から姿を消すところに面白さがある。だるまさんが転んだでは、鬼が振り向いたとき、体を静止させていれば、その人は鬼から「見えない者」とされる。映画の中の忍者は黒装束で闇に姿を溶かし込み、おばQは自由自在に姿を消す能力で子供たちの人気者になった。実際には、今後どんなに科学技術が発達しても、透明人間が生まれることはないだろう。でもその不可能を可能にするのが映画のマジックだから、透明人間は何度も何度も映画の中で新しく生まれ変わるのだ。その描写は最近のデジタル技術のおかげで、ずいぶんと精巧なものになった。

 この映画の透明人間のユニークな点は、人間や動物の透明化プロセスを、CGを使って緻密に描いているところにある。今までは二重露光処理のように、人間が少しずつ薄ボンヤリと透明になっていくものがほとんどだったと思うが、この映画では皮膚や髪の毛や肉や内蔵が、段階的に消えていくという、かなりグロテスクな光景が展開する。小学生の頃、理科室の隣にある標本室で見た人体模型の気持ち悪さ。人骨模型以上に恐かったのは、皮膚をはぎ取られて筋肉や内臓がむき出しになった組織模型だった。この映画では、その組織模型が実験室のベッドでのたうち回る。まるで悪夢のような光景だ。

 監督は『ロボコップ』『スターシップ・トゥルーパーズ』のポール・バーホーベン。得意のエロ描写や残酷描写は今回控え目だが、やっていることは結構エグイ。透明人間の行為に直接描写などあり得ないのをいいことに、相当に好き勝手なことをやっている。唯一手心を加えたと思われるのは透明人間が女性をレイプしようとする場面。ここはレイプしてしまったのか、それとも未遂に終わったのかが描けていないと、その後の透明人間の行動の下地として弱いと思う。これは絶対に撮影を全部済ませていて、編集段階でレイティングに考慮してカットしたんだと思う。ビデオではシーンが復活するかもしれない。ヒロインのヌードも、ずいぶんカットしているはず。

(原題:Hollow Man)


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