セクシュアル・イノセンス

2000/08/04 映画美学校試写室
『リービング・ラスヴェガス』のマイク・フィギス監督作品。
セックスと死をめぐる寓話的な物語。by K. Hattori


 『リービング・ラスヴェガス』『ワン・ナイト・スタンド』のマイク・フィギス監督による、性と死をテーマにした異色のオムニバス風ドラマ。映画の中では幾つかのエピソードが並行して語られており、細かなエピソードの断片を寄せ集めたような不思議な構成になっている。中心になっているのは、フィギス監督本人を思わせる映画監督ニックを主人公にした部分。彼が5歳の時アフリカで見た奇妙な風景、思春期の時のガールフレンドとの体験、そして現代の夫婦関係や映画作りの現場などを描いている。もうひとつの大きな柱が、聖書に出てくるアダムとイブの神話を現代風に脚色した部分。さらに、ニックの映画作りに参加する女性スタッフと、彼女の双子の姉妹、恋人との関係などが描かれる。

 タイトルになっている「innocence」という単語は、無罪・潔白・無邪気・無知・無害など、かなり広い意味を持っている。映画の中にアダムとイブのエピソードが引用されているが、このアダムとイブは性に対して無知であったことをやめた途端、楽園から追放されてしまうのだ。ふたりを追放する楽園の番人の背後に十字架が見えるが、これはキリスト教や教会そのものを示しているのではなく、それに象徴されている欧米人の性に対する倫理観を示しているのだと思う。この映画の中では、セックスはあらゆる罪悪の根元として描かれる。あらゆる災いはセックスから生じ、セックスに対する罰として人間には苦痛や死が与えられる。主人公ニックがガソリンスタンドのトイレで散乱したポルノ写真を見つけたとき、即座に子供の頃に警察で見せられた死体写真を連想するくだりが象徴的だ。ここでは「セックス=死」なのだ。

 この映画の性に対する恐れや強迫観念は、夫婦間セックスの一致と不一致をあっけらかんと解決させてしまった、『ワン・ナイト・スタンド』の裏返しかもしれない。『ワン・ナイト・スタンド』ではウェズリー・スナイプス(黒人の男)とナスターシャ・キンスキー(白人の女)のセックスが物語の発端になるのだが、黒人の男が白人の女とセックスするという関係性は『セクシュアル・イノセンス』のアダムとイブのエピソードでもそのまま踏襲されている。しかし一方はハッピーエンドになり、一方は悲劇を生み出してしまう。こうした両極端の結末は、フィギス監督の中にある矛盾や葛藤を表しているのかもしれない。フィギス監督の最近の作品は日本で公開されていないものも多いので簡単に結論を出すわけには行かないが、『リービング・ラスヴェガス』では主人公ふたりの間にあえて性的な関係を作らなかったことも、フィギス監督の嗜好を表しているのかもしれない。

 16ミリカメラを使って撮影したという、粒子が粗くコントラストの強い映像が美しい。特に楽園のアダムとイブを撮影した部分は、幻想的で、同時にドキュメンタリー映画のようなリアリティがある。まるで神か天使がアダムとイブを観察しているような視点。映画は面白いと思わなかったが、このパートだけは興味深かった。

(原題:The Loss of Sexual Innocence)


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