DOG STAR MAN

2000/07/13 シネカノン試写室
スタン・ブラッケージ監督の初期代表作。音楽も音もない無声映画。
1960年代を代表するアンダーグラウンド映画。by K. Hattori


 「PRELUDE」から「PART 4」まで全部で5章から構成される、スタン・ブラッケージ監督の実験映画。ストーリーらしき物は特にないように思えるが、画面には無数のイメージの断片だけが次々と登場しては消えて行く。それでも、犬を連れた木こりが雪山を登っていく情景や、男女のセックスを思わせる性的なイメージ、女性の乳首から吹き出す母乳、生後数ヶ月の赤ん坊などのイメージが繰り返し登場することから、これがある種の物語性を含んでいることは間違いない。ただしそれを正確に追いかけていくことはまず不可能だろう。

 上映時間は全部で1時間18分。この間、一切の音声はない、完全なサイレント状態だ。試写室の中にはフィルムの回るジージーという音と、クーラーのコンプレッサーの音、扉の向こうからかすかに響く足音や話し声だけが聞こえる。こんな状態で、目の前に広がるのはめくるめく映像の洪水のみ。言うまでもなくこれはかなり異様な映画だし、この映画を観るという行為そのものも異様な体験と表現するのがピッタリだと思う。

 僕はこの手の実験映画やアンダーグラウンド作品については素人なので、この映画が映画史の中でどんな位置づけにある物なのかはわからない。1961年から'64年にかけて、何部かに分けて発表されたこの映画は、監督スタン・ブラッケージの初期代表作であり、'60年代のアメリカ・アンダーグラウンド映画を代表する作品らしい。かれこれ40年近く昔の作品というわけだ。そんなに昔の映画なのに、この映画の持っているエネルギーは今でも決して色あせていないように思える。多分同じようなことを今やろうとすれば、ビデオとパソコンでずっと短時間に実現可能だと思う。でもそれをブラッケージが膨大な手間と時間をかけて、フィルムで実現しているということろがすごい。異種素材のモンタージュ、フィルムの多重露光、フィルム表面の引っ掻き傷や腐蝕痕などを、膨大な手間と時間をかけて作り上げた執念が、フィルムの1コマ1コマに宿っているような気がする。

 まったく音のない映画だが、スクリーンに投影される映像には独特のリズムがあり、観ている側の頭の中ではそれぞれの効果音や音楽が流れているのだと思う。まったく無音になっていることで、この映画は音作りに観客を参加させるのだ。フィルムが上映されている空間にもともとあった小さな音が、スクリーン上の映像と呼応するような効果を上げてしまう場合もある。こうした無音の効果は、現代音楽家ジョン・ケージの代表作「4分33秒」を連想させる。無音によって、観客はそこに偶然ある音を聞き、そこにあるべき音を夢想するのだ。

 こうした映画を観ると、「映画とはかくあるべし」という日頃の思い込みや先入観が、頭の中でほぐれていくような快感がある。脳味噌の溝にたまった日常の垢を、すっかり洗い流してくれるような映画かな。「頭で理解するより目で観て感じろ!」というタイプの映画なので、これをどう言葉で表現するかは非常に難しいのだが……。

(原題:DOG STAR MAN)


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