リトル・チュン

2000/06/28 映画美学校試写室
フルーツ・チャン監督の香港返還三部作・完結編。
9歳の少年チュンの初恋を描く。by K. Hattori


 『メイド・イン・ホンコン』『花火降る夏』で'97年の香港返還をテーマにしたフルーツ・チャン監督の新作は、前2作と同じく香港返還をテーマにした物語。前2作が香港の裏社会を舞台にしていたのに対し、今回は食堂を経営する堅気の父親を持つ9歳の少年“リトル・チュン”が主人公。香港の人気スター“ブラザー・チュン”と同じ名前を持つ彼は、「世の中で一番大切なのはお金だ。人間はお金のために働いたり争ったりする」という人生哲学の持ち主。ある日、大陸から不法入国して働く同じ年頃の少女ファンと知り合った彼は、彼女と仲良くなるにはどうすればいいかを考える。彼の人生哲学に照らしたところ、その答えはやはり「お金で釣れ」と出た。ファンは子供なので、まともな仕事にありつくことはできない。チュンは自分が店で手伝っている出前の仕事をファンに手伝わせ、自分の受け取るチップを山分けしようとファンに提案する。こうして9歳のチュンとファンは、世界最年少のビジネス・パートナーになる。

 子供を主人公にした映画は傑作と駄作の落差が激しいが、この映画はそのどちらに属するのか……。映画の中心になっているのはチュンとファンの友情(あるいは淡い恋愛感情のようなもの)だが、サブテーマとして描かれるチュンと祖母の関係や、祖母の身の回りを世話するフィリピン人メイドのエピソードも印象的。さらにこれらを束ねるのは、当時の人々の共通関心事になっていたブラザー・チュンの入院と彼の家族の遺産を巡る確執だ。こうした要素がすべて密接に結びついた映画の序盤から中盤までは、とてもいい映画だと思う。だがファンが映画から一時的に退場し、祖母もメイドもいなくなり、ブラザー・チュンも亡くなってしまう映画の終盤は、何が言いたいのかよくわからなくなってしまう。物語はファンが退場した時点で終わっているのだから、その後のエピローグに祖母とメイドの話を入れて、すぐに映画自体を終わらせることもできたはず。たぶんこうした弛緩した雰囲気にも、監督なりの意図やメッセージが隠されているのだろうが、僕にはそれが伝わってこなかった。

 映画の序盤には素晴らしい場面が幾つかある。チュンとファンが路地を横切っていく場面などは、それだけですごく絵になるのです。チュンの家族が食事をしているところに、ファンが仕事を求めて飛び込んでくる場面もよかった。チュンとファンがトラックの荷台で遊ぶふたつの場面や、チュンとファンが自転車三人乗りで港に行く場面もよかった。新年の花火や、葬式の送り火なども印象的。こんなに素晴らしいシーンの連続なのに、最後の30分で映画の印象そのものが弱くなってしまうのは残念。三部作の中では一番穏やかで平和な作品だし、僕も3作の中では一番好きな映画になると途中までは確信していたのに……。映画は最後までわかりません。

 もともと撮影残りの半端フィルムを使って『メイド・イン・ホンコン』を撮った監督です。資金が十分に使えるようになると、語り口が冗長になってしまうのかな。

(原題:細路祥/LITTLE CHEUNG)


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