ランデブー

2000/06/01 シネカノン試写室
共通の友人を亡くした見ず知らずの男女が夜の街をさまよう。
癒し系の映画なのかな。ちょっと地味すぎ。by K. Hattori


 酔っぱらった若い男が、終電の行き過ぎた地下鉄の駅を出て街を歩き始める。公衆電話から「飲み過ぎて家に帰れなくなった」と電話を入れる男は、結婚して子供もいるらしい。黒いスーツに黒ネクタイ。内ポケットには香典返しの白いハンカチ。男は誰かの葬式か通夜の帰り道のようだ。始発までの時間をどう過ごすかあてもないまま歩く男のすぐそばで、若い女が川に飛び込んだ。男は少しためらった後、自分も川に飛び込んで彼女を助け出す。男の名はトオル。女はナオ。濡れた服を洗って乾かすコインランドリーで少しずつ会話をするうち、ふたりとも自殺したユウの友人だったことを知る。ふたりは夜の街を歩きながら、死んだユウと自分の関わりについて話し始める。それは友の死を受け入れるためにどうしても必要な、長い長い一夜の旅だった。

 トオルを演じているのは『バウンスkoGALS』『ナビイの恋』の村上淳。ナオを演じているのは劇団維新派の赤松美佐紀。登場人物はこのふたりだけだ。偶然出会ったふたりは、これまた偶然にも共通の友人を持っていることを知る。自ら死を選んでしまったユウ。夜の街を徘徊するトオルとナオは、見ず知らずの他人であった相手とユウの話題を共有することで、少しずつ心の傷を埋めて行く。ひとりでは堪えられないような辛い出来事も、その話を聞いてくれる誰かがいれば乗り越えられる。それが親友や恋人といった親しい人でなくてもいい。その日出会ったばかりの赤の他人で構わない。ただ黙って、自分の言葉を丸ごと受け止めてくれる人が、人間には必要なときがある。それが癒しにつながるのです。

 登場人物も少ないし、これといって大きなドラマがあるわけでもない地味な映画です。舞台が夜の街なので、当然のことながら画面はいつだって薄暗い。主人公たちの言葉はいつだって独り言のようなもので、そこには言葉のキャッチボールがない。会話が成立していないのです。どちらかが何かを言っても、「それで?」「なぜ?」「それから?」といった合いの手さえ入らない。主人公たちはそれぞれに、自分とユウの関係について勝手に喋るだけ。その投げっぱなしの言葉が、夜の暗闇の中に吸い込まれて溶けていく。白いハンカチ、非常用の懐中電灯、食べかけのタコヤキ、子猫の死体、傷ついた足など、いろいろな物が象徴的な小道具として登場します。日常の中にあるごく普通のものを、主人公たちの心理を示す小道具にするのはうまい。

 作り手のやりたいことはわかるし、たぶんやりたいことはきちんと作品の中で表現されている映画だと思う。でもこれは物語の規模が小さすぎる。上映時間は55分で、この映画の規模に見合ったものだとは思うけれど、あと20分足して一波乱起こしてくれないと、「ドラマ」としての映画の面白さは味わえない。このたった一晩の出来事が、彼らのその後の人生に何を残すのか、僕はそんなことが知りたいのだ。欲張りなのかな。でもこの映画については、その程度の欲張りが許されると思う。


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