ギャベ

2000/05/29 映画美学校試写室
イラン映画の巨匠モフセン・マフマルバフが描く小宇宙。
1枚の絨毯に織り込まれた恋人たちの物語。by K. Hattori


 イランの映画監督モフセン・マフマルバフは、彼の地ではキアロスタミと並び称される巨匠なのだそうな。キアロスタミを突破口とした日本におけるイラン映画公開ラッシュの中で、マフマルバフの映画がとうとう日本で公開される。じつは娘のサミラも映画監督で、そのデビュー作『りんご』は日本公開されてる。この時は『りんご』を撮ったのも父親ではないのかなどと言われましたが、今回『ギャベ』と『パンと植木鉢』という2本のマフマルバフ作品を観る限り、父と娘とではだいぶ映画のタッチが違うように思える。『りんご』が出品された一昨年の東京国際映画祭では、父モフセンが監督した『沈黙』という映画も出品されていたのですが、僕はこれを観なかった。この作品も日本で公開されるようです。

 『ギャベ』というのは、イランの遊牧民族たちが織る目の粗い絨毯のこと。イランの絨毯というと「ペルシャ絨毯」が有名だけれど、それよりも軽くて暖かいという。映画の中ではタタミ2畳分ほどのギャベを、女性がくるくると丸めて小脇に抱えている。重くどっしりしたペルシャ絨毯では、なかなかこうはいかないに違いない。

 映画は老夫婦が泉で1枚のギャベを洗うところから始まる。青い色が鮮やかな民族衣装を着た老婆と、歌うように話す老人。老婆の衣装と同じように青いギャベを広げると、そこには“ギャベ”と名乗る若い女が現れる。彼女の衣装は老婆の衣装や泉の中のギャベと同じ青い色。若い女はギャベの洗濯を手伝いながら、自分自身の不運な生い立ちを語り始める。彼女は遊牧民カシュガイ族の娘。深く愛し合う若者がいるのだが、厳しい父親は彼女の結婚を許さない。祖母が死にそうだ、伯父を結婚させなければならない、母親が出産間近だといろいろな理由を付けて、ギャベの結婚を先へ先へと延ばしていく。遊牧民の一家は羊の群を連れて山岳地帯を移動していく。ギャベの恋人はそんな一家の後を、馬に乗ってどこまでもどこまでも追いかけ、時には狼の遠吠えに似た声でギャベに呼びかける。ギャベは後ろを振り向きながら、どこまでもどこまでも移動していく。

 老夫婦の目の前で自らの境遇を語るギャベの姿は、現れたり消えたりする。どうもここで語られている物語は、通常の時間や空間とは別のものらしい。老夫婦とギャベの目の前でギャベの物語が演じられ、老夫婦は芝居見物でもするようにその様子をながめている。ギャベは時にその芝居に自らも参加し、時には老夫婦のそばにやってきて自らの不幸を嘆いてみせる。この映画の中では、時間と空間が自由自在に伸び縮みするのだ。ギャベが持ち歩く絨毯(ギャベ)に織り込まれた図柄は、ギャベと恋人の若者が馬で逃げる場面になっている。ここでは現在と未来が交錯する。不幸を嘆く若い娘ギャベと、絨毯を洗う老婆の服が同じことから、このふたりは同じ人物のようにも見えてくる。だとすれば、歌うように語る老人こそ馬の若者。過去と現在と未来がひとつに溶け合い、複雑にからまりあう小さな宇宙がここにある。

(仏題:GABBEH)


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