五月の雲

2000/04/26 映画美学校試写室
家族の映画を撮ろうとする映画監督が田舎の町に戻ってきた。
トルコの映画監督が描く平凡な家族の物語。by K. Hattori


 監督・脚本・制作・撮影のヌリ・ビルゲ・ジェイランは、長編第1作の『カサバ/町』が一昨年の東京国際映画祭に出品されたというが僕は未見。今回の映画は、映画監督をしている男と両親、親戚の男と少年といった血縁関係の中で生じるドラマ。といってもこれは、家族の絆や葛藤を描いた通常のホームドラマではない。家族それぞれの物語が時に交差しながら別々に進行し、最後に一本に合流するという構成になっている。

 物語の舞台はトルコの田舎町アナトリア。(トルコの地理に詳しくないので、これがどの程度の規模の町なのかは不明。字幕では「村」と訳されていたりするから、まあ小さな町なんでしょう。)主な登場人物は5人。大学入試に失敗して不本意ながら工場勤めをしている青年サフェット。普段は大都会イスタンブールで暮らし、取材のために帰省している映画監督のムザファ。数十年に渡って世話をしてきた小さな森の権利を巡り、国と争っているムザファの老父エミン。その妻ファツマは、夫の気苦労を「無駄な努力」と考えている。しょせん国と個人が争ったって勝ち目はない。ムザファも父親に「諦めた方がいい」と言うばかり。そんな家に出入りしているのは、親戚の少年アリ。彼はポケットにたまごを入れて、いつも大事そうに持ち運んでいる。40日間たまごを割らずにいたら、欲しがっていた腕時計を買ってもらえると、叔母のファツマと約束しているのだ。

 映画の前半は淡々とした日常の描写が続き、後半になって幾つかのドラマがある。サフェットは工場勤めを突然やめてムザファの映画撮影を手伝うようになる。エミンが恐れていた役人たちが、いよいよ町に姿を現す。アリは大事に大事にしていたポケットのたまごを、小さな不注意から割ってしまう。ムザファの映画撮影がいよいよスタートする。静かな水面に小石を投げ込んだ程度の事件ではありますが、こうした小さな事件がそれぞれに干渉し合って、水面に複雑な波紋を描いていくのです。波紋は波紋でしかないので、そこに特別な仕掛けを求めてもあまり意味はないんだけどね。

 アリ少年が適度なコメディリリーフになっていて、この映画を観ている者をほっとさせます。帰り道に急にお使いを言いつけられて、そのせいでたまごを割ってしまったアリ。「大事に運べ」と言われていたカゴいっぱいのトマトを、坂の上から蹴落とす場面なんて、観ていて「その気持ちはわかる!」と大きく肯いてしまった。後生大事にポケットに入れてあったたまごは、おそらく腐ってひどい匂いがするはず。近くの川で上着を洗ったアリは、その後、思っても見なかった大胆な行動に出る。このタイミングの妙味。僕は大笑いしてしまいました。

 森を守ろうとしたエミンが、映画撮影中にふと見上げると、大事にしていた木にペンキで印が付けられているのを見つける場面もドラマチックでした。毎日役人たちを見張っていたのに、たまたま留守の日にやってきた役人たち。ペンキの跡が悪魔の刻印のように見えます。

(原題:MAYIS SIKINTISI)


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