サム・ガール

2000/04/06 映画美学校試写室
恋の不確かさを描く青春映画。面白いけど地味。
登場人物は粒ぞろいだけどね。by K. Hattori


 薄汚れた赤毛の天使が泣きながら夜明けの町を走っている。もちろん本物の天使ではない。天使の扮装をした若い女性だ。彼女の名はクレア。なぜ彼女は天使の格好で走り出すことになったのか? 物語は2週間前にさかのぼる。つき合っていた男に振られたクレアは、その心の傷が癒えぬうちに、雑誌スタンドで見ず知らずの男に声をかけられる。チャドという名のその男の優しさに、少しずつ心を癒されていくクレア。男に振られたばかりで恋愛に臆病になっていたクレアは、チャドとの新しい恋におずおずと足を踏み入れて行くのだが……。

 もう子供ではないし、かといってすっかり大人というわけでもない、20代前半の若者たちを描いた青春映画。主人公クレアを演じたマリサ・リビシが脚本を書き、母親のゲイ・リビシが製作を担当し、双子の弟(兄?)であるジョバンニ・リビシが弟役で出演するという、ごく内輪で作られたインディーズ映画です。ジュリエット・ルイスが友人エイプリル役で出演したり、その恋人役でマイケル・ラパポートが出演していたりするので、無名キャストによる映画というわけでもない。監督は『スリープ・ウィズ・ミー』のロリー・ケリー。この映画の中では天敵同士を演じているジュリエット・ルイスとジョバンニ・リビシですが、本作の撮影直後に『カーラの結婚宣言』で恋人同士を演じています。

 人物のアンサンブルで物語を作っていく映画で、登場人物たちがみんな生き生きとした人物像に仕上がっている。といっても、全員がいい人というわけではないし、好感が持てる人物でもない。毎晩のように別の男の家に泊まるエイプリルと、彼女をひたむきに愛し続けるニールの関係など、僕には到底理解不能。このふたりの関係がハッピーエンドに終わるとは思えない。好青年に見えたチャドの人物像も、途中からぼやけてきてしまう。

 もともとは「自分を振って別の女性とつき合いだした男を殺すヒロイン」というアイデアから生まれた企画らしいのですが、完成した映画は主人公が最終的な復讐に至るまでのいろんなエピソードの側が主で、復讐劇という感じはあまりしない。決着の付け方として、こんなものもアリかなという程度。クレアと元恋人の最後の対決が電話越しでは、人間同士がぶつかり合うドラマにならない。クレアの行動は相手に対する復讐というより、自分の気持ちに落とし前を付けるという意味の方が大きいのではないだろうか。男の行為の代償としてあまりにも大きなしっぺ返しだけれど、結末には爽快感があります。

 誰もがうらやむ美男美女が登場しない、そこいらにいるごく普通の若い男女の物語です。彼らは「運命の恋」を追い求めながら、決してそれに出会うことがない。クレアの恋はいつも破れ、エイプリルとニールの関係もダメになるのが目に見えている。若者たちの恋人探しは、アーサー王と円卓の騎士の聖杯探求物語みたいなものかもしれない。目的に永久にたどり着けないからこそ、映画や小説のテーマとしても永遠に生き続けるのです。

(原題:SOME GIRL)


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