フリーズ・ミー

2000/04/05 KSS試写室
レイプされた女が男たち共々過去を「凍結」する物語。
観ていてムカムカしてきた映画。by K. Hattori


 この映画を観てようやく気づいたことがある。僕は石井隆の映画が嫌いだ。石井隆の作り出す物語や芝居の演出が嫌いなのではない。僕は彼の映画に登場する女性のあり方に我慢ができないのだ。石井隆の映画の中で、女たちはしばしばレイプされる。そのレイプは片仮名で「レイプ」と書いたり漢字で「強姦」と書くより、むしろ「陵辱」とでも書くのがピッタリするようなしろもの。まあそれはいい。レイプは女性に対する最低の暴力だし、それが女性の身も心も傷つけるのは間違いのないことだ。しかし僕が我慢できないのは、石井隆が映画の中で、レイプされた女を「汚れた女」「一生消えない惨めな刻印を押された女」として描くことだ。

 レイプ被害者には、確かに一生癒しがたい心の傷が残るかもしれない。しかし石井隆はその傷を、人間としての価値を損ない貶める出来事として描くのです。レイプされた女はまともな女ではない。レイプ被害は一生彼女を不幸にする忌まわしい過去であり、一度男たちに汚された女は、その後まともな恋愛も結婚もしてはならない。それが石井隆の描く女性像です。レイプ被害から不幸になる女性も確かにいるでしょう。でも被害者の多くは、その不幸な出来事を克服しようと努力しているはずです。でも石井隆は「レイプ被害は一生その女について回り、その女を薄汚れた売春婦以下の存在にしてしまう」と主張する。石井映画の中で犯された女たちはしばしば自殺し、あるいはアル中になり、殺し屋になる。レイプの忌まわしい過去を洗い落とすのは、新たな暴力によって生まれる鮮血だけ。犯された女は血生臭い復讐によって浄化され、聖なるものへと昇華される。

 この映画の主人公山崎ちひろは、郷里の町で3人の男たちにレイプされる。それから数年後、東京での新しい生活にも慣れ、恋人との結婚を間近に控えた彼女のもとに、以前彼女を犯した男たちが再びやってくる。過去が露呈することを恐れた彼女は、男たちを次々に殺して大型の冷凍庫に押し込んで行く。この映画の嫌なところは、レイプされたという過去が発覚するのを恐れて、結局は彼女が再び男たちに身を任せてしまうこと。なぜ彼女が警察を呼べないのか? それは彼女がレイプの洗礼を受けた「汚れた女」だからです。「レイプだろうと何だろうが一度やっちゃえば勝ち」という理屈です。レイプの過去をねたにさらにレイプされるという状況自体を、僕は否定しない。しかし登場人物の全員が、この明らかな犯罪行為を警察沙汰と結びつけないのはどういうわけだ。一番わけがわからないのは主人公の恋人で、彼は自分の目の前で彼女が男に乱暴されていても、おろおろと狼狽して逃げてしまうだけ。なぜ彼は恋人を救おうとしないのか。なぜせめて警察を呼ぼうとしないのか。それは、レイプされた女は「汚れた女」だと、彼自身が考えているからです。レイプされた女は絶対に救われない。過去は血で浄化され、最後は死によって最終的な救済が得られる。そんな石井流が、この映画でも繰り返されます。


ホームページ
ホームページへ