フルスタリョフ、車を!

2000/03/24 メディアボックス試写室
スターリン最後の粛正に巻き込まれた医師の物語。
難解で物語を追っていけない。by K. Hattori


 ロシアの映画監督アレクセイ・ゲルマンの最新作。彼は今までに『七番目の道づれ』『道中の点検』『戦争のない20日間』『わが友イワン・ラプシン』などの作品を撮っているが、僕はどれも未見。この監督は非常に寡作で、いつでも数年から10数年に1本のペースで映画を作っている。今回の映画も、前作『わが友イワン・ラプシン』から14年ぶりの映画になっている。

 タイトルの『フルスタリョフ、車を!』というのは、ソビエトの独裁者スターリンが息を引き取る直前、側近に伝えた言葉だという。スターリンの死は1953年。映画は彼の死の前夜から始まり、約10年後に終わる。脳外科医ユーリー・クレンスキー少将が、「医師陰謀事件」と呼ばれる粛正に巻き込まれて強制収容所に入れられ、その後突然モスクワに呼び戻されてスターリンの死を看取った後、再び姿を消してしまうという話だ。こうしてあらすじを書いてしまえばどうということはないが、僕は今回このあらすじをプレスから写してます。だって映画を観ても、何が何だかよくわからないんだもんね。この映画の難解さは、まるで悪夢を見ているようです。

 画面はモノクロのスタンダード。上映時間は長くて、2時間22分もある。説明を廃して、ひたすら画面に映し出される「出来事」だけを淡々と描く構成。しかしこれはドキュメンタリー的な効果を狙ったものではない。ひとつひとつのカットは比較的長めになっており、その中で演じられる芝居の密度は非常に高い。1カットの中に10数人の登場人物が現れ、それぞれにかなり込み入った芝居をしている。それは明らかに作り手の演出を感じさせるが、こうした芝居が物語り全体の中でどんな役割を果たすのかはさっぱりわからない。説明らしい台詞がまったくないので、物語を追いかけるのも困難。場所が次々に移動し、時間はどんどん経過して行くが、その場所がどこで、時間がどれぐらいたっているのかといった説明も省かれているため、映画を観ていて自分の居場所を見失ったような気分を味わうことになる。地図を手渡されることなく、きなり言葉も通じぬ見知らぬ街角に置き去りにされたような心細さを感じてしまうのだ。

 画面から受ける圧倒的なボリューム感に頭がついていかないためか、はたまた花粉症の薬に入ってる成分のためか、映画の最初の1時間は猛烈な睡魔に襲われてしまった。(最近、本当に寝てしまう映画が多い。)途中からはがんばって起きていたんだけど、目を覚まして観ていた映画の後半も、わけのわからないことでは寝込んでいた前半と変わらない。「この人は誰?」とか「なぜ彼がここにいるの?」と思うのは、前半の説明を観ていなかったせいだと割り切るにしても、シークエンスごとの脈絡がほとんどないまま次々と場面が変わっていくのには面食らってしまう。その最たるものが映画のラストシーン。映画の冒頭で逮捕されたボイラーマンが10年ぶりに強制収容所から出てくるのだが、そこでは10年の年月を示す描写が一切ないのだ。たいへんな映画です。

(原題:Khrustalyov, mashinu!)


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