HYSTERIC

2000/03/13 TCC試写室
若いカップルが起こした衝動的殺人事件を描くドラマ。
主人公たちにどうしても共感できない。by K. Hattori


 1994年に起きた「青学大生殺害事件」をモデルにした青春映画。監督は『冷血の罠』『アナーキー・イン・じゃぱんすけ』の瀬々敬久。脚本は瀬々監督と『雷魚』『汚れた女(マリア)』でもコンビを組んだ井土紀州。主演は『完全なる飼育』『あつもの』の小島聖と、『岸和田少年愚連隊/血煙り純情篇』『ポルノスター』の千原浩史。映画は逮捕された女・真美の回想という形式で、真美と智彰のなれそめと放浪、犯罪とその後の顛末を描き出していく。モデルになったのは実在の事件だし、演出もかなりドキュメンタリー調だが、映画は事実をそのままなぞっているわけではない。実在の事件に触発されて作った、フィクションというところだろう。

 二十歳前後のカップルが起こした衝動的な殺人事件という素材は面白いし、主演ふたりもがんばっている。ただしこの映画にはいくつか決定的な欠点があって、それがこの熱演を空回りさせていると思う。第1の欠点は単純な時制の問題。映画はパトカーの中の現在、殺人事件以前、殺人事件以後という3つの時間を行き来するが、クライマックスである殺人事件前になって、事件以前の時間の流れと事件以後の時間の流れが混線してしまう。これは事件以後のふたりが「またパチンコ屋で働こう」と言った直後に、事件以前にふたりがパチンコ屋で働いていた場面を挿入したことによる混乱。このため、事件現場となる部屋に侵入したふたりが、事件現場に再び舞い戻ってきたような印象を受けてしまう。せっかく息詰まるクライマックスに向かっているのに、この構成ミスは痛い。それともこうした誤解をしたのは、ひょっとして僕だけだったんだろうか。他の人はすぐわかるのかな。

 第2の欠点はもっと本質的な部分にある。それは映画の作り手たちがこの主人公たちをどう見せたいのか、明確になっていないことだ。特に千原浩史演じる男のキャラクターが不明確。彼はなぜ社会的な逸脱行為に走ってしまうのか。なぜ彼は真美という女にこだわり続けるのか。そこには彼の生い立ちから来る愛情に対する飢餓感があるのかもしれないし、彼自身の偽悪的なポーズが影を落としているのかもしれない。彼の心にある欠落感を埋めてくれる相手が、真美だったのではないだろうか。しかし映画では、そのあたりがどうもうまく説明し切れていないように感じる。少し弱いのだ。

 小島聖演じる真美のキャラクターにもそれは共通することだが、彼女の場合は「最初の男」に引きずり回される弱い女という類型の中で理解することもできる。だが智彰のキャラクターは少なくとも僕の手に負えず、理解することも共感することもできなかった。この映画の製作者たちは、おそらくこの主人公たちに同情していたに違いない。主人公たちを取り巻く生活のディテールには、かなり切ないものもある。でも同情と「共感」は違うんだよね。観客が彼らの犯罪に共感する必要はないけれど、彼らが犯罪を犯すに至る気分には共感させる必要があるんじゃないだろうか。


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