メトレス

2000/01/27 松竹試写室
渡辺淳一の原作を川島なお美主演で映画化した不倫愛の物語。
物語をなぞるだけの脚本には魅力が薄い。by K. Hattori


 渡辺淳一の小説「メトレス・愛人」を、川島なお美と三田村邦彦主演で映画化。監督はつい先日『静かなるドン THE MOVIE』を観せてもらったばかりの鹿島勤。今回の映画は製作と配給が松竹だが公開規模は小さく、都内では銀座シネパトスと新宿ピカデリー4での公開となる。映画とは名ばかりで、これもまたビデオ市場向けの作品なのだ。内容もしっかり「ビデオでいいや」というできになっている。チラシの売り文句は「『失楽園』の渡辺淳一が、またひとり、センセーショナルなヒロインを生んだ」とあり、チラシの裏面には「あの『失楽園』の原典となったベストセラー小説を完全映画化!」と書いてある。大ヒットした映画『失楽園』の二番煎じであることは明白なんだけど、いくらなんでもこれじゃタイミングが遅すぎる。今さら渡辺淳一原作で映画館に客が来るはずがない。そのへんは松竹も自覚しているからこそ、規模の小さなパトス公開になるのでしょうけど……。

 「メトレス」というのはフランス語で愛人という意味だが、ただの愛人ではない。男性側に経済的にも精神的にも依存する日本型の愛人とは違い、自分で仕事を持ち、男性との関係以外の場所にも自分のアイデンティティを持った自立した恋のパートナーが“メトレス”なのだという。しかしこの映画はご大層にフランス語を持ち出して「私は“愛人”とは違うのよ!」と言った割には、中身は相変わらずじめじめじとじとした日本型の愛人像をなぞってしまう。ヒロインは最終的に自立した女へと成長するわけですが、そこまでの過程がいかにも日本的で、観ていてウンザリしてしまった。恋人との束の間の逢瀬、恋人の妻からの無言の圧力、お金で自分を縛ろうとする恋人への反発、幸せな結婚生活を手に入れた友人への秘かな羨望、恋人の家庭が崩壊していく横で自分の居場所を失っていくヒロイン。どれもこれも紋切り型すぎます。

 これは小説なら許されるのでしょう。日本でフランスの恋愛小説を読んでいる人たちなんて、そうそういないですからね。でも日本でもフランス映画はたくさん公開されているし、そこには「男性と対等の関係を持った女性たち」が星の数ほど登場しているのです。なまじ「メトレスっていうのはね……」なんて講釈たれるから、そうしたフランス映画のヒロインたちに比べて、川島なお美がいかにダメな女なのかが明白になってしまう。日本の女たちに自立をうながす映画なら、もっと別のアプローチ方法がなきゃダメなんだ。

 例えばこの映画ではワイン通を自認する川島なお美がソムリエを演じているというのが見どころだったりするのだから、ソムリエという仕事を切り口にして脚本を作れば面白かったかもしれない。ソムリエの世界がどうなっているかなんて、誰も知らないでしょうからね。その上で、ソムリエの仕事を選ぶか恋人との生活を選ぶかの選択をヒロインに迫ってほしかった。中年男が不倫の果てに家族と恋人の両方に捨てられる話など、「ざまあみろ」と思うだけで共感などできません。


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