マグノリア

2000/01/20 パンテオン
『ブギーナイツ』のポール・トーマス・アンダーソン監督最新作。
人間の孤独とその先にある希望を描いた傑作。by K. Hattori


 『ブギーナイツ』のポール・トーマス・アンダーソン監督の新作。『ブギーナイツ』の舞台でもあったL.A.郊外の町サン・フェルナンド・バレーを舞台に、複数の登場人物がそれぞれの人生の悩みを抱えながら1日を過ごすという、スケールの大きなグランドホテル形式の映画。出演者の中でトップに名前が挙がるのはトム・クルーズだろうが、彼が唯一無二の主人公というわけではない。この映画は、物語にからんでくる主要登場人物だけでも12人いるのだ。ジュリアン・ムーア、フィリップ・シーモア・ホフマン、ジョン・C・ライリー、ウィリアムH・メイシーなどの『ブギーナイツ』で馴染みの顔も再登場。フィリップ・ベイカー・ホールとメローラ・ウォルターズも『ブギーナイツ』に出ていたというのだが、どこにどんな役で出ていたのかちょっと思い出せない。

 この映画で描かれているのは、人間にとって人生で最悪の瞬間だ。ある者は病に身体を蝕まれたまま、孤独に人生を終えようとしている。ある者は自分でも触れたくない過去を、他人から無惨にほじくり返される。ある者は自分自身の弱さを悔い、ある者は取り返しの付かない過去の罪の呵責に耐えかね、ある者は過去の栄光と現在のギャップに苦しみ、ある者は自らの才能ゆえに周囲の人々が自分から遠ざかるのを感じている。人の悩みは絶えることがない。しかしその中心にあるのは「愛の欠如」だ。人は誰しも、他人から愛されたいと願う。自分が愛する人に、振り向いて欲しいと願う。自分が相手に捧げた愛と同じだけの愛を、自分に返して欲しいと願っている。この映画に登場するのは、自分が手に入れられない“愛”を手にしようともがく人々の姿だ。映画の中で特に大きく扱われているのが親子関係だという点に、愛の欠如の深刻さがある。男女の愛の移ろいやすさに比べ、肉親の愛はもっと確かなものだと一般には思われているからだ。しかしこの映画の登場人物たちは、当たり前だと思われている親子の愛すら失っている。

 不幸というのは奥の深いものだ。この映画の主人公たちは、観客が「うわ〜、悲惨だなぁ」と思うような不幸を突き抜け、さらなる不幸へと落ちて行く。笑ってごまかしたり、涙を流してカタルシスを得たり、慰めの言葉をかけたりすることでは解消できないような、絶対的な不幸、絶対的な孤独のまっただ中に追い込まれ、あとはそのまま死んでしまうしかないような気分になる。そして不幸は、そこで底を打つのだ。物事が底を打てば、あとは浮上してくるしかない。そこにこの映画の感動があるのだ。

 もちろん、不幸の後に希望があるという話なんて、今まで無数に作られてきた。問題は不幸から希望に至るプロセスをどうタイミング付けるか、何をきっかけに不幸が希望へと変わるパラダイム・シフトが起きるかだ。この映画は、そのためにとんでもないクライマックスが用意されている。『シックス・センス』のラストが予想できてしまった勘の鋭い人でも、この映画のラストは予想できまい。僕はこれだけで、この映画に満点を付けます。人間が観たこともないものを観せてくれるのが、映画の醍醐味ではありませんか!

(原題:Magnolia)


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