極道(やくざ)血風録
無頼の紋章

1999/11/08 東映第1試写室
的場浩司と竹内力が初共演したB級やくざ映画。
ドラマの芯が弱くて薄っぺらな印象。by K. Hattori


 B級やくざ映画の看板役者、的場浩司と竹内力の初共演作だそうですが、同じく「初共演」を売りにした竹内力と相川翔の主演作『DEAD or ALIVE』を観た後では、いかにも芸のない普通のB級やくざ映画です。(『DEAD or ALIVE』と比べる方が悪いのですが……。)監督の伊藤秀裕は相変わらず演出の歯切れが悪く、妙にもったいぶった場面ばかりが目立つ。僕はこの人の映画で、面白いと思ったものが1本もないのですが……。

 広域暴力団鉄心会の幹部である主人公・木暮秋治と、金で雇われて鉄心会にちょっかいを出す愚連隊組織・非道連のリーダー、立花薫の戦いを描いた物語。秋治の父親は鉄心会の会長なので、秋治はいわば生え抜きのエリート。一時は堅気の道を歩いていたこともあるが、やがて外国の傭兵部隊に入り、除隊後は鉄心会に入ることになる。会長の2代目とはいえ、親の顔だけで幹部に取り立てられるほどやくざの世界はヤワではない。秋治本人も父親からは距離を置き、母方の姓を名乗っている。彼が幹部になったのは、本人に実力があったからこそだ。彼はやくざを自分の天職だと考えている。「サソリに生まれたら、サソリとして生きるしかない」のだ。彼は父を慕ってやくざになったのではない。暴力と血の臭いが、彼をやくざの世界に引きつけているのかもしれない。

 この映画は何が言いたいのかさっぱりわからないのが一番の欠点。暴力団という組織、会長の息子という血筋を後ろ盾にした、いわばエリートやくざの秋治と、誰の庇護も受けられない一匹狼の愚連隊・立花を対比させ、対照的な男同士の意地の張り合いを見せるというのが物語の中心にあると思うのですが、映画の中ではそれがすっかり忘れ去られている。秋治は家族的な温かさを切り捨てようとしている男であり、立花やその仲間たちは、孤独な戦いの中で家族的な絆を必死で追い求めようとしている。すべては正反対なのです。その正反対な男たちが戦いの中で正面からぶつかり合い、お互いが相手の中に自分の追い求める何かを見いだす。そこに共感と羨望と憎悪が生まれる。自分が持ちたくても持てないものを、相手はすべて持ち合わせているという事実が、半ば意味のない殺し合いの中にふたりを追い込んで行く。しかし映画はただエピソードを羅列しているだけで、主人公たちのこうした心理にまでは深入りしていかない。

 脚本の中で、主人公たちの対比がうまく機能していない面もある。秋治には堅気の恋人がいて、彼女を通して主人公が自分の内面を吐露することができる。しかし立花には、付き添う女性の姿がない。立花の部下に、風俗店で働く恋人がいる程度。こうしたドラマでは女性たちの動かし方ひとつで、主人公のキャラクターを大きく肉付けすることができる。(それを極端に押し進めたのが香港映画『ヒーロー・ネバー・ダイ』だ。)この映画の女性たちは単なる付け足しで、ドラマにほとんど何の貢献もしていないのだ。せっかくの「初共演」も、こんなデキではもったいない。特に的場浩司は気の毒でした。


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