ビッグ・ダディ

1999/11/08 SPE試写室
アダム・サンドラーが慣れない父親業に挑戦する子育てコメディ。
ヌルイ映画だけど、そのヌルサが心地よい。by K. Hattori


 主人公ソニーは32歳の独身男。この歳になるまで定職にも就かず、週に1度のアルバイトと親からの仕送りで暮らしているグウタラ人生。長年つきあっているガールフレンドは、「もっと大人になってよ!」と言い残して部屋を出ていってしまう。そんな時、ソニーは5歳の男の子ジュリアンに出会う。ルームメイトであるケヴィンの子供だと名乗るジュリアンだが、ケヴィンはそんな子に心当たりがまったくないと言う。福祉事務所が休日だったため、ソニーは少年と一晩を過ごすことになるのだが、そうなれば情が移って別れがたくなる。ソニーはジュリアンを引き取って父親になることで、「大人になって!」と言うガールフレンドの要望に応えられると考えたのだが、世の中そううまくは運ばない……。

 大人になりきれない中途半端な男が、小さな子供を抱えて右往左往するコメディ映画。チャップリンの『キッド』とか、阪妻の『狐の呉れた赤ん坊』とか、この手の話は昔から何度も映画になっている。こうした映画では、慣れない父親家業に精を出す主人公の魅力がキーポイント。この映画で主人公ソニーを演じているのは、売れっ子のアダム・サンドラー。『ウェディング・シンガー』『ウォーターボーイ』などが日本でも公開されていますが、今ひとつ日本では人気に火がつかない。たぶんこの映画でもダメでしょう。日本ではなかなかアメリカのコメディアンが受け入れられません。ロビン・ウィリアムスみたいに“役者”になってしまえば別なんでしょうけど、サンドラーはコメディにこだわっているから日本では受け付けられないのだと思う。アメリカでは大人気なんですけどね……。国民性の違いかな。

 この映画、話そのものはものすご〜くヌルイ。ご都合主義と予定調和、さらにどこかで観たような場面も多いし、エピソードがかみ合っていないところもある。でも、このヌルサが結構心地よい。東京国際映画祭で心身共に深く傷ついている僕にとって(大げさかな?)、まさにこれは癒し系の映画になってしまいました。なぜこの映画が心地よいかというと、ここには「作家性を発揮しよう」とか「観客をびっくりさせよう」という野心がまったくないからです。この映画には「観客を楽しませよう」「観客に面白がってもらおう」というサービス精神しかない。技術的には下手なところも多いけど、そのサービス精神だけはしっかりと伝わってくる。映画祭で独善的な作家映画ばかり観ていた僕にとって、これほど気持ちのよい映画はないのです。

 ヒロインを演じているのは『チェイシング・エイミー』のジョーイ・ローレン・アダムズ。最初に主人公を振るのが可愛い系のクリスティ・スワンソンで、主人公を認めて幸せに導くのがガラガラ声で姉御タイプのアダムズだというのがいかにも今の時代です。ビデオで見れば十分な映画だとは思いますが、この適度な生ぬるさは、案外デートなどに打ってつけの映画なのかもしれません。つまらない映画ではない。それが大切です。

(原題:BIG DADDY)


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