DEAD OR ALIVE

1999/09/30 徳間ホール
冒頭10分とラスト2分の衝撃。映画とはかくも自由なものなのか!
和製『ヒート』だと思っているとひどい目に遭う。by K. Hattori


 「油断大敵」という言葉がある。油断して適切な対処を誤ると、思わぬ大損害・大失敗をやらかすという意味だ。僕は何もここで、東海村の核燃料事故について書こうとしているわけではない。映画を観ているときにも、「どうせこんな映画は」とか「なるほどその手でくるのね」「○○みたいな展開だな」などと舐めてかかっていると、後から手ひどいしっぺ返しを食う場合があるというお話です。映画の最後まで観て、「参りました」「勘弁してください」「申し訳ない」と平謝りに謝ってしまいそうな映画。それがこの『DEAD OR ALIVE』だった。

 監督は『岸和田少年愚連隊/望郷篇』『中国の鳥人』の三池崇史。僕はこの監督の映画で感心した作品が今までに1本もないし、最近の『アンドロメディア』や『日本黒社会/LEY LINES』も面白い映画だとは思えなかった。だから今回の試写も「どうせなぁ」と思っていた。まるっきり油断していたのです。主演は哀川翔と竹内力。中身は一匹狼の刑事と中国残留孤児2世ギャング団の対決を描いた、典型的バイオレンス・アクションだ。脇を固めるのは、大杉漣、寺島進、ダンカン、石橋蓮司、平泉成、本田博太郎、鶴見辰吾、田口トモロヲ、小沢仁志といった顔ぶれで、この配役リストを眺めただけで「またか」と辟易してしまうようなもの。豪華メンバーではあるけれど、その豪華さはあくまでも「製作:大映、東映ビデオ」という枠内での豪華さであって、東映ブロック作品の顔ぶれではあり得ない。ところがこの映画、導入部からしてちょっと変わっている。主演のふたりが月島の運河でカウントを数える場面から、映像と音声の奔流の中で、矢継ぎ早に暴力とセックスの断片が描かれていく。話の流れはまったく見えない。劇場版『新世紀エヴァンゲリオン』の総集編部分みたいだ。

 この奇抜なイントロが一段落すると、物語の主人公たちが少しずつドラマの表面に浮上してくる。物語の筋立ては、パチーノとデ・ニーロが主演した『ヒート』に似ている。哀川翔は、警察内部でも敵の多いはみ出し者の刑事。心臓病の娘がいるが、妻とは家庭内離婚状態。竹内力は、中国残留孤児2世で組織されたギャング・グループのリーダー。グループはカリスマ的なリーダーのもとでひとつにまとまり、ケンカから銀行強盗まで、鉄壁のチームワークで成功させる。互いに別々の世界で生きてきたふたりが、互いを認めるライバル同士になる。やがて哀川翔は警察組織の中で完全に浮き上がり、ヤクザたちに接近して金をたかるようになる。鉄壁のチームワークを誇っていた竹内力のグループも、くしの歯が欠けるようにメンバーが脱落して行く。だがこうして傷つくほどに主人公たちの対立は深まり、最後はふたりが1対1のタイマン勝負になるのだが……。

 衝撃的なのは最後の2分間。ここで物語の世界観が見事にひっくり返り、「今まで観てきたのは一体なんだったんだ!」と叫びたくなるほどのショックが観客を襲うはずだ。これはカルトムービーになるかもしれない。


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