ヒーロー・ネバー・ダイ

1999/07/12 映画美学校試写室
対立するギャング組織の若い幹部の間に芽生える奇妙な絆。
主演はレオン・ライとラウ・チンワン。by K. Hattori


 対立するギャング組織に属する若きナンバーツー同士が、激しい戦いのなかで心を通わせ、組織上層部の裏切りで破滅して行く物語。主演は『ラブソング』の優男レオン・ライと、『ロンゲストナイト』でも太々しい殺し屋を演じたラウ・チンワン。タイプの違うふたりの男が、戦いのなかで互いのことを認め合う様子は、友情や連帯といった生やさしい言葉では表現できない。彼らは戦いの中でしか生きられない男として、自分にもっとも近い匂いを相手の中にも感じたのかもしれない。彼らの反発は敵対する組織に属するという立場から生まれるものであると同時に、一種の近親憎悪のようにも思える。物語の中では、ふたりの男がまるで合わせ鏡のように、過酷な運命にもてあそばれる。

 監督のジョニー・トゥは『ロンゲストナイト』のプロデューサーでもある人だが、香港では『ロンゲストナイト』、同じくプロデュース作品の『非常突然』、今回の『ヒーロー・ネバー・ダイ』をあわせて「ダーク・トリロジー(暗黒三部作)」と言うとか。『ロンゲストナイト』のラストは、別々に生きてきたふたりの男が、最後に鏡を介して対面し、同化して行く様子を描いていた。今回の映画はそれを一歩進め、主人公ふたりを最初から最後まで鏡像のような存在として描く。ひとりが占い師を撃てばもうひとりも撃ち、ひとりが立ち小便をすればもうひとりも小便をし、ひとりがボスに裏切られればもうひとりも裏切られ、ひとりの恋人が殺されればもうひとりの恋人も……。ふたりの人間はシーソーのようにバランスを取りながら、破滅に向かって真っ直ぐ堕ちて行く。だがそんなふたりも、死ぬときは別々なのだ。

 命がけで守ろうとした組織のボスに裏切られた主人公たちが、最後にボスに反逆するというストーリー。これは黒澤明の『酔いどれ天使』に登場する、ヤクザの宿命のような物語だ。冒頭から主人公たちの格好良さをさんざん見せて置いて、映画のちょうど折り返し地点あたりで大規模な銃撃戦。結果は相撃ちで、主人公たちは血の海のなかで倒れてしまう。僕はてっきり、この場面でレオン・ライとラウ・チンワンの出番は終わり、後半は彼らの恋人たちが弔い合戦をするのかと思ってしまった。だが映画のタイトルは『ヒーロー・ネバー・ダイ』なのだ。主人公たちは死なない。九死に一生を得て生き残る。だがレオン・ライは昏睡が続き、ラウ・チンワンは両脚切断と下半身不随という後遺症が残る。生き延びた彼らを邪魔者扱いする組織は、殺し屋を差し向ける……。

 ここからがんばるのが女たち。主人公たちは恋人に励まされ、生かされることで、香港に戻る決心をする。だが、その女たちのなんと悲しいことか。男たちは女たちの死によって再生するが、その再生は、死に向けて最後の生を燃焼させるものでしかない。ずっと夕焼けを見ていたいとつぶやく女の言葉に、僕は泣いてしまいそうになる。すべてが終わったとき、男たちの死は伝説になった。だが女たちの死を覚えている人は誰もいない……。

(原題:眞心英雄/A HERO NEVER DIES)


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