眠狂四郎女妖剣

1999/06/28 徳間ホール
雷蔵の眠狂四郎シリーズで初めて興行的ヒットを飛ばした作品。
池広監督の絵作りは面白いが話はイマイチ。by K. Hattori


 昭和39年に製作された、市川雷蔵主演の眠狂四郎シリーズ第4弾。ぴあシネマクラブには『抜群の面白さ』『アクション・シーンが最高』などと書いてあるが、僕はまったく面白いと思えなかった。隠れ切支丹、阿片の密貿易、将軍の娘・菊姫の色狂い、狂四郎の出生の秘密、宿敵・陳孫との一騎打ちなど、エピソードが盛りだくさんの割には構成が未整理。話の流れはともかく、それぞれのエピソードがうまくかみ合っていないため、全体がギクシャクしている。それが特に顕著になるのは、狂四郎が江戸から浜松に向かう途中、幾度か刺客に襲われる場面だろう。ひとつひとつのエピソードが完全にブツ切れになっていて、全体がうまくつながっていかない。

 話がバラバラになる一番の原因は、菊姫のエピソードと隠れ切支丹のエピソードに何の関連もないまま、双方が狂四郎に関わってくることだろう。密貿易をしている悪徳商人が両方の背後で糸を引いているわけだが、切支丹のエピソードはともかく、菊姫の方は映画の途中で江戸を追放されて商人とのつながりが切れてしまうため、それぞれ何の縁もゆかりもない者たちが、別々に狂四郎をつけ狙うというややこしい話になる。この映画の中では、隠れ切支丹を兄に持つ若い女、狂四郎が旅の途中で出会う女祈祷師、隠れ切支丹たちに慕われている聖女など、印象的な女どもが何人も登場するのだが、これも現れては消えるばかりで、物語全体を引っ張っていく役割は果たしていない。とにかく小さなエピソードばかりがゴロゴロしていて、大きなドラマに結びつかないのだ。

 相互に関連のない細かなエピソードを物語にちりばめるなら、ロードムービーにしてしまうという手もある。狂四郎が江戸を離れるのをもっと前の方に持ってきて、旅の途中で次々と事件に遭遇する話にすればもう少しまとまりのある映画になったはずだ。この映画には、そうした大きなアイデアや仕掛けがまったく見あたらない。こうした欠点は脚本に存在するものだが、この脚本を書いた星川清司によれば、この映画にはまったく準備期間がなく、脚本を10日(実際は15日程)で書かされたのだという。準備期間がないと、どうしたって脚本はまとまりを欠くものになってしまうのかもしれない。「市川雷蔵とその時代」で、池広一夫監督は『ストーリーの前後の辻褄が合わなくったっていいから面白くやろうということで、星川(清司)さんとも相談した』と書いているけど、これは言い訳くさい。同じ事をやるにしたって、他にもやりようがあるはずなんだから……。

 公開当時のこの映画の見どころは、女優が次々に脱ぐエロティシズムだった。ただしこれは今観ても、別段どうということはない。むしろ注目すべきは、池広監督流の映像テクニック。狂四郎の円月殺法をストロボ撮影で見せるのは、池広監督の考案です。エロとアクションのユニークさが受けて、この作品はシリーズ最初のヒット作になったとか。このおかげで、眠狂四郎シリーズは打ち切られずに済んだのだという。


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