夢幻琉球・つるヘンリー

1999/06/16 アップリンク・ファクトリー
沖縄の映画監督・高嶺剛がビデオで作った最新ファンタジー。
このデタラメぶりが好きな人はどうぞ……。by K. Hattori


 『パラダイスビュー』『ウンタマギルー』の高嶺剛監督が、デジタルビデオを使って撮った最新作。ガジュマルの木に吊されていた1冊の映画脚本がきっかけで、沖縄の民謡歌手とその息子が、奇妙な事件に巻き込まれて行く物語。主人公は民謡歌手の島袋つる。息子のヘンリーはアメリカ人との混血だ。このふたりが主人公だから、タイトルは『つるヘンリー』……。ひどく単純。

 拾った脚本『ラブーの恋』を持って、つるは監督メカルのもとを訪れる。ところが彼は映画を作る気がなく、もっぱらアリの研究に夢中になっている。やがてメカル監督は台湾に旅立ち、留守中のつるたちは自分たちの手で映画を完成させようとする。ところが出てくる人々はみんな、一癖も二癖もある人ばかり。息子のヘンリーは映画の中のジェームズという人物を演じることになったが、脚本を読んで準備をするうちに役と自分を混同し、自分は沖縄人の母とアメリカの高等弁務官の間に生まれた子供だと信じてしまう。映画作りというお祭り騒ぎの中で、現実と虚構の境界が消滅して行く……。

 沖縄語・英語・日本語がちゃんぽんになった不思議な映画で、沖縄語と英語には日本語字幕が付く。ところがこの映画は全体に録音が悪いので、字幕の付かない日本語の台詞になると、何を言っているのかさっぱりわからなくなってしまう。日本語といっても、訛りがひどくて聞き取りにくい。本来字幕なしで聞き取れるはずの台詞が、じつは何を言っているかさっぱりわからないというアベコベ。どうせなら全部に字幕を付けてほしかった。

 物語は完全なフィクションだが、雰囲気としては3分の1がドキュメンタリー、残りのうちの半分が通常のドラマ、残りが幻想シーンという感じだ。タイトルにも「夢幻」と断ってあるが、この映画を普通のドラマとしてストーリーを追っていくと、何が何だか途中でわからなくなってしまう。ここにあるのは、個々に独立したイメージの連続。ストーリーはそれを串刺しにしているだけだ。問題はその串が真っ直ぐではなく、かなり曲がりくねっていること。「弁当箱にDNAが!」と言われても、僕はちょっと困るんですけど……。

 僕は最近「ビデオ作品でも作り手が“映画”と名乗るならそれは映画である」というところまで譲歩しているので、この作品がビデオ撮りであること自体に抵抗はなかった。ただし内容面については、まったく受け付けられない。内容がわかった上で「受け入れるか否か」という選択を迫られているのではなく、僕はこの映画が何なのかサッパリわからないのです。もちろんこうした映画が好きな人もいるんでしょうけど、僕はまったくダメ。脈絡のない話がダラダラと続くだけに思えて、観ていても「早く終わらないかなぁ」と時計ばかり気にしていた。

 この映画の製作費は「市民プロデューサーシステム」という個人出資によって賄われているのですが、お金を出した人は、完成した映画を観てどう思ったんだろうか。「しまった、こんなはずじゃ!」と思ってたりして……。


ホームページ
ホームページへ