今日からスタート
(公開題:今日から始まる)

1999/06/12 パシフィコ横浜
(第7回フランス映画祭横浜'99)
低所得者地域で幼稚園の園長をしている主人公の奮戦記。
実在の幼稚園園長をモデルにした社会派の力作。by K. Hattori


 地場産業の炭鉱が閉鎖され、地域全体が経済的に停滞している小さな町。そこで幼稚園の園長をしている男の奮闘ぶりを、地域や家庭や役所の事情にまで踏み込んで描いた社会派ドラマ。昨日観た『少年たち』も強烈だったが、この映画は年端もゆかない幼児を取り巻く環境を描いているだけに、その周囲にいる大人たちの問題を掘り下げた内容になっている。この映画のすごさは、主人公を正義のヒーローに祭り上げ、無理解な役人たちを敵役に追いやるといった単純な図式を陥ることなく、社会情勢の変化の中で誰もが身動きできなくなってしまった様子をリアルに描いている点にある。貧しい家庭への福祉予算が削られ、子供の周囲にいる人たちは激怒する。だがこれといった産業もなく、住人のほとんどが低所得者だという小さな町の予算の中で、貧しい家庭に手厚い保護をしようとしても難しいのが現実だ。分別のある大人なら、こうした理屈がわからないでもない。だが現実に目の前にいるひとりひとりの子供たちの苦しみを見ると、主人公たちは何かせずにはいられなくなる。

 日本もここ何年かは不況だと言われていますが、この映画に登場するような慢性的不況や、明日への希望がまったく持てず、人間性そのものまで損なってしまう貧しさとは無縁だと思う。この映画の中では、主人公の友人の教師が「中所得者階層は教育で上にはい上がれるチャンスがある。低所得者層は見捨てるしかない」と自説を披露する場面がある。貧乏人は永久に貧乏でいるしかないというのが、暗黙の前提になっているのです。主人公はそうした情況に我慢できず、熱心に家庭訪問や地域活動を行い、役所の福祉担当者にも噛み付く。映画を観ていると、主人公の怒りは当然の事に感じられるのですが、それが役人や学校組織の上役たちには、出過ぎた横紙破りに見えるという歪んだ現実がある。

 この映画は現実をモデルにしたフィクションで、主人公の園長にもモデルがいるし、子供たちの置かれている情況も現実そのままだそうです。ここで描かれている子供たちは、確かにたいへんな状態になっている。でも本当におかしくなってしまったのは、大人たちの側なのです。ベテランの女教師が、カメラに向かって語りかけます。「20年前には1クラスで45人の子供を受け持っていたが、さほど手は掛からなかった。今は1クラスが30人だが、その何倍も手が掛かる。遅刻が多くなり、衛生状態の悪い子供が増えた。言葉をうまくしゃべれない子や、挨拶すらできない子供が多い」と……。

 子供たちは確かに変わったのでしょう。でもそれ以上に変わったのは大人たちなのだと思う。大人たちは社会に対して絶望し、自分自身の未来はおろか、子供たちの未来にも希望が持てなくなっている。そんな状態になって、なぜ子供をきちんと躾けようとするだろう。主人公が大人たちに「祖父や父の世代から受け継いだ誇りを取り戻せ」と訴える部分で映画は終わります。最後に必要とされるのは、人間としての尊厳なのです。

(原題:COMMENCE AUJOURD'HUI)


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