尾崎翠を探して
第七官界彷徨

1999/05/18 岩波シネサロン
昭和初期に活躍し、忽然と姿を消した幻の女流作家・尾崎翠。
その生涯と作品世界を映像化した意欲作。by K. Hattori


 昭和初期に活躍し、30代半ばで突然筆を折った幻の女流作家、尾崎翠の生涯をドラマ仕立てで映像化した作品。彼女の最晩年から昭和初期の活躍ぶりまでを、時間をさかのぼって断片的に描くと共に、代表作「第七官界彷徨」の内容を所々に挿入し、しかもそれらを現代のクィアパーティーの会場からのぞき見るという凝った構成。映画の最後には、パーティー会場と昭和初期の鳥取砂丘が、小さなテレビモニターを通じてつながり合い、パーティー参加者たちが小説の主人公・町子や作者の翠に大喝采を送るのだ。ひとりの作家の伝記映画としては異色のものだし、作り手の尾崎翠に対する思い入れのようなものは強く伝わってくる。芸術家の伝記映画で主人公の作品を映像化するのはよくあることだが、現代の若者たちが集まるパーティーの場面と主人公の世界を結びつけた点はユニーク。しかしこのユニークさが、少々アダとなっているような気がしないでもない。

 映画の作り手は、尾崎翠が生きた時代と現代との間に橋を架けることで、彼女の人生や作品が、現代人にも共感できることを証明したかったのだろうか。それとも現代の普通の人々がゲイやドラッグクイーンが集まるクィアパーティーに感じるのと同じ感覚を、尾崎翠の生き方や作品世界が持ち合わせていると言いたかったのだろうか。僕はどうも、この演出意図がわからない。パーティーシーンがあることで、この映画が「低予算の教育映画的な伝記映画」という枠組みを破り、生き生きとした「今の映画」になっていることはわかる。しかし、この場面はいかにも陳腐。「現代の若者たち」「尾崎翠の生涯」「第七官界彷徨」という3つのパートをモザイクのように組み合わせるという今の構成はそのままにするにしても、それぞれの場面の描き方にはもう少し工夫があってもよかったんじゃないだろうか。パーティーシーンはアフレコの状態が悪いこともあって、場面全体が他の場面から不自然に浮き上がっている。

 伝記パートでは白石加代子が尾崎翠を演じ、自分の名声にも業績にも拘泥しないサバサバしたおばあちゃまぶりを好演している。甥や姪を目の前にして、高らかに笑う彼女の姿は見ていて気持ちよかった。ただし、彼女に昭和初期、作家として活躍する30歳代の翠まで演じさせるたのは苦しい。時代の最先端を突っ走るモダンガールを演じさせるには、それにふさわしい肉体が必要だと思う。映画のラストで鳥取砂丘に女たちが勢揃いしたとき、それが現代のパーティー会場にいる若者たちとがオーバーラップしないと、尾崎翠の文学(生き方も含む)が現代に通じる普遍性を持つことが伝わらない。

 映画の中で一番面白いのは、やはり「第七官界彷徨」の部分。狭い下宿の中で若い男女が共同生活し、その中に言いようのないエロスが充満して行くのです。監督はピンク映画のベテラン浜野佐知。この映画は、彼女にとって初の一般映画だそうです。ドラマ部分の演出はしっかりしているので、また別の映画が撮れるといいですね。


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