あの、夏の日
とんでろ じいちゃん

1999/05/13 東映第2試写室
大林宣彦監督の持ち味が100%生かされた傑作ファンタジー。
2度観たが、2度とも大泣きしてしまった。by K. Hattori


 3月に1度試写を観ているのだが、その時はエンドロールの部分がまだ未完成だったこともあり、今回改めて完成品の試写を観た。もっとも「完成品を観なければ」というのは半分言い訳で、本当は前回観て大感動してしまった映画をもう一度観たかったからに他ならない。今回改めてこの映画を観直して、この作品が大傑作であることを再確認。映画が公開されたらまた観ようと心に決めて、心地よく試写室を出てきた。去年のナンバーワン日本映画は『がんばっていきまっしょい』だったが、今年は(今のところ)『あの、夏の日/とんでろ じいちゃん』で決まりだ!

 この映画は子供たちが主人公ということもあり、演技の質はいわゆる「リアリズム」とは程遠い。台詞はどれも棒読みだし、動作もぎこちなくて危なっかしい。でも映画の感動を生み出すのは「リアリズム」ではないということを、この映画は観客に教えてくれるだろう。映画は荒唐無稽なファンタジーで、誰がどう考えても「ありそうにない話」だ。作り物の話と作り物の芝居が、作り物ではない本物の感動を生み出す映画のマジック。同じように子供を主人公にしたファンタジーでも、『水の旅人/侍KIDS』は失敗作だったが、今回の映画は素晴らしい出来映え。この違いは一体なんなのだ?

 映画の中では、子供たちを中心にしたファンタジックな部分と、大人たちを中心にしたリアルな芝居が同居している。主人公ボケタの周囲は、リアリズムから外れたファンタジー。しかし菅井きん演じる祖母の周辺は、徹底したリアリズムで描かれる。そして、ファンタジーとリアルな世界を自由に行き来するのが、小林桂樹演ずるボケかかった祖父なのだ。映画の前半では、ファンタジーとリアルな世界のつながりが木に竹を接いだような印象を与えるのだが、やがて両者は融合して、夢とも現実ともつかない奇妙な世界を生み出して行く。こうした構成は大林監督が得意とするものだが、今回の映画ほどそれが図に当たって成功している例は、今までなかったかもしれない。一歩間違えれば噴飯もののホラ話で終わってしまう場所で、ぎりぎり踏みとどまって映画の世界を大きく広げている成功例だ。大林監督の作品では、しばしばこの領域を踏み越えて失敗している例もあるのだが、今回は見事に成功させている。

 思春期の少年少女が意図せずして持ち合わせている健康的なエロティシズムが、この映画にはぎっしり詰まっている。ミカリを演じた勝野雅奈恵の胸の谷間がまぶしく、少女の腹にとまった玉虫は夢のように美しい。劇中で使われている「ジョスランの子守歌」は、『時をかける少女』の「桃栗三年」に匹敵する効果的な使われ方で、映画を観終えた後も耳の奥から離れない。僕は最初に試写を観たときも終盤は泣き通しだったが、今回も同じ場面でポロポロとだらしなく涙がこぼれ始めた。人は死んでも思い出が残る。この映画も、僕にとっては決して忘れられない映画になることだろう。


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