鉄道員
(ぽっぽや)

1999/05/07 東映第1試写室
家族を犠牲にしてまで仕事一筋に生きた定年間近の駅長。
浅田次郎の原作を高倉健主演で映画化。by K. Hattori


 浅田次郎の直木賞受賞作を、高倉健主演で映画化した、降旗康男監督作品。東映としてはこの作品に社運をかけているのでしょうが、残念ながら、僕はこの映画をあまり高く買わない。鉄道一筋の“ぽっぽや”として人生を過ごしてきた男が、定年を目前にして自分の人生を振り返り、最後にひとつの「奇跡」が生まれるという物語だが、同じテーマならドイツ映画『ワラー最後の旅』の方がはるかによくできていた。この映画の失敗は、物語自体はものすごく小さな物なのに、無理して高倉健主演の大作にしてしまったことだ。盛り込まれている料理に比べて、器ばかりがやけに大きくなってしまった。

 1931年生まれの高倉健が、定年目前の駅長に見えないという欠点もある。どんなにメイクやカメラアングルに気を使っても、70歳間近の高倉健は時折「老人」の表情をカメラに見せてしまうのだ。かつて『マディソン郡の橋』で、イーストウッドの老いさらばえた裸体をみてしまったときと同じ気まずさを、僕はこの映画で感じてしまった。もちろん高倉健の表情自体は素晴らしく、時代劇やヤクザ映画で「老侠客」でも演じさせると、かつてのアラカンのような渋い存在感を発揮しそうだ。しかしその「老い」が、今回の映画では邪魔になる。主人公の佐藤乙松は定年後の再就職先を決めておらず、それを周囲がやきもきしながら見守っている。しかし演じている高倉健がすっかり「老人」の顔になっているので、定年後は再就職するより、ゆっくり「余生」を楽しむべきだろうという気持ちになってしまうのだ。

 この映画では、回想シーンをモノクロ風の色調で表現している。『ワラー最後の旅』の現在から過去への切り替えを観てしまった後では、『鉄道員(ぽっぽや)』の回想シーンはいかにも安直に思えてしまう。回想シーンの中で、高倉健と小林稔侍が壮年時代を演じているのも、『ワラー最後の旅』が回想シーンをしっかり別の役者で撮っていたこととつい比較してしまった。これはもう、映画作りの発想そのものが違うのです。高倉健というスター俳優を中心に映画を作っている限り、東映版の『鉄道員(ぽっぽや)』はここまで作るのが精一杯でしょう。

 主人公の佐藤乙松は、幼い頃から憧れた仕事に就き、仕事一筋に人生を送ってきた男です。彼は家族よりも、自分の仕事を優先する。仕事のために、家族を犠牲にしてきたと言ってもいい。でもそんな彼の一途さを、周囲の人たちは理解してくれる。子供を亡くし、妻に先立たれた乙松を気遣い、優しくいたわる人々がいる。それがあまりに丁寧に描かれているので、娘の幽霊が現れて「お父さんは今までの一生でいいことがひとつもなかった」と言っても、「そうかなぁ」と僕は思ってしまった。ここは頑固者で堅物の駅長が、周囲から変人の厄介者扱いされながら生きてきたという話にしないと、娘の台詞がまったく生きてこないのだ。このあたりも、『ワラー最後の旅』はうまかった。降旗監督の『あ・うん』や『藏』に感激した僕も、この映画では泣けません。


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