クワイエット・ファミリー

1999/05/06 シネカノン試写室
そのペンションに泊まった客は、なぜか全員不審な死を遂げる。
韓国のブラック・コメディは笑いが生ぬるい。by K. Hattori


 父親が脱サラしてペンション(山荘)を経営し始めたのに合わせ、住み慣れた都会を離れて山間部に移り住んだ一家6人。しかしオープンしてから2週間近くたっても、客はひとりも現れない。新しい商売が、そうそう簡単に成功するはずがないのだ。それだけに、最初の客が現れたときの喜びもひとしお。だがよりによってその客が、翌朝変死体で見つかるとは……。部屋には遺書もなければ財布もない。すわ殺人事件か? このまま警察に届けたりしたら、始めたばかりのペンション経営が台無しだ。一家の主人は妻や弟、息子たちと協力して、男の遺体を近くの山に埋めることにする。そして翌日、気を取り直して2組目の客となる若いカップルを泊めたのだが、なんとこのふたりが部屋で心中。前日の一件もあるので、この事件も警察に届けるのがはばかられる。一家は再び、死体を近所の山に捨てに行くのだった……。

 登場人物たちの思惑とは裏腹に、次々と不幸な出来事が起こるブラック・コメディ。日本映画で言えば、サブ監督の『アンラッキー・モンキー』や、矢口史靖監督の『裸足のピクニック』にも通じる、残酷なスラップスティックだ。周囲から隔絶されたペンションを訪れた人たちが、不幸にして次々に殺されていくというアイデアは面白い。経営者一家の側には殺す意図がないのに、客は自殺したり、心中したり、事故に遭ったり、陰謀の巻き添えを食ったりして死んで行く。そのたびに、一家は死体を隠さなければならない羽目になる。しかも、近くで道路工事が始まれば、埋めた死体を掘り起こして別の場所に埋め直さなければならない。こうして死体を埋めたり掘り起こしたりするくだりは、ヒッチコックの『ハリーの災難』を連想させる古典的なギャグ。

 この映画はアイデアこそ面白いのだが、登場人物たちのキャラクターが掘り下げ不足で、事件と人物がうまくかみ合っていない印象を持った。登場人物たちそれぞれの性格を強調し、それと個々の事件をぶつけて行けば、この映画はさらに面白いものになったと思う。この映画には、そうした性格付けのタネがきちんと用意されているのに、それがドラマの中であまり生かされていない。父親と母親の凸凹コンビぶりを中心に、叔父と息子を脇に立て、トラブルを招く長女と、おっとり型の妹を組み合わせているのに、事件を目の前にしたときに見せる各人の反応が一様で面白味がないのです。

 韓国と日本では、映画作りの置かれている環境にかなりの共通点があるはずです。双方の映画人が交流を持ち、互いの作品を参考にしあえれば、映画作りの発想や技術は高くなるでしょう。僕はこの映画を観て「この程度で喜んでいるようでは、韓国の観客レベルは低い」と思ってしまった。韓国は日本文化の輸入禁止政策を未だに全面解禁はしていませんから、日本の若い監督が撮った生きのいい娯楽映画が、韓国の観客の目には触れないのです。この制限を全面撤廃すると、観客の目が肥えてきて、韓国映画はもっと面白くなると思うんだけど。

(英題:The Quiet Family)


ホームページ
ホームページへ