英二

1999/04/26 東映第1試写室
テレビドラマ「とんぼ」の主人公・小川英二のその後を描く映画。
全編に漂うナルシズムが鼻持ちならない。by K. Hattori


 今から10年以上前に放映されていた長渕剛主演の連続テレビドラマ「とんぼ」と、2年前に放映されたスペシャル・ドラマ「英二ふたたび」に続く劇場版長編映画。観客として想定されているのは、「とんぼ」からずっとこの作品を見てきたファンと言うことなのかもしれませんが、それで商売になるんだろうか。東映は4月に8年前に製作されたVシネマの続編『共犯者』を上映し、今度が10年前のテレビの続編……。映画のためのオリジナル企画というのが、決定的に不足している。それに、人気作品の続編を作るにしたって、せめてもう少し新しい素材を選ぶことはできないのだろうか。

 長渕剛主演の映画は、9年前の『ウォータームーン』以来。この映画の時は、工藤栄一監督が主演の長渕と衝突して監督を降板し、途中からは長渕自身が演出したという逸話がある。今回の映画は黒土三男が監督・脚本を担当しているが、黒土と長渕は「親子ゲーム」「とんぼ」「ボディガード」「英二ふたたび」などのテレビドラマや、映画『オルゴール』でもコンビを組んだ旧知の仲なので、さしたるトラブルもなく撮影ができたのでしょう。俳優としての長渕剛は、他の役者にはないカリスマ性と存在感があるので、本当は別の監督と組んで、いろんな可能性にチャレンジすべきだと思うんだけど……。

 「ボディガード」で和製ケビン・コスナーを演じた長渕剛は、映画に関してもケビン・コスナー流の「俺様主義」を通します。今回の映画に一番近い印象を与える映画は、ケビン・コスナーの『ポストマン』だったりするんだよね。世界が自分中心に動いているという全能感と、ちんけな男が英雄視される馬鹿馬鹿しさが共通しているのです。僕は『英二』を観ていて、「おいおい、お前は何様だ!」とつっこみを入れたくなる場面がいくつもあった。ストイシズムとナルシズムを混同した場面が多くて、目も当てられない。これで2時間は長すぎる。

 僕が一番うんざりしたのは、主人公の英二が中国人娼婦メイホアと温泉に行き、彼女を抱かずに説教たれるところ。ヤクザたちに食い物にされ、さんざん虐待されてきた彼女が、自分に優しくしてくれた英二に心を開き、彼に抱かれたいと思ったときに、英二はそれを拒絶してしまうのです。なぜ彼はメイホアを抱かないのか。それはストイシズムの発露ではなく、ナルシズムによるものだと思う。鶴田浩二や高倉健でも、この場面になればたぶん女を抱くぞ。ここでは黙って彼女を抱いてやるのが、男の優しさではないのか。それを英二は「もっと自分を大事にしろ」と偉そうに能書きたれるのです。

 こうした場面で、座頭市なら女を抱かないでしょう。「あんたはきれいな人だ。あっしに抱かれたら汚れちまう……」と言って逃げ出してしまう座頭市は、自分を世間の裏街道を歩く日陰者の男だと規定しているからこそ、「意気地なし」と言われようと、表の世界に住む女を抱こうとはしない。でも英二はそうじゃない。自分を女より高い場所に置いて、彼女を突き放す。バカだね。


ホームページ
ホームページへ