バッファロー'66

1999/03/24 メディアボックス試写室
刑務所を出所した男が、誘拐した女に愛されて大弱り。
ヴィンセント・ギャロの初監督作品。by K. Hattori


 特に若手というわけでもなければ、ベテランというわけでもない、不思議なポジションにいる異色俳優ヴィンセント・ギャロ。彼の長編映画初監督作品が、この『バッファロー'66』だ。ギャロはこの作品で、監督・脚本・主演・音楽を担当。5年の勤めを終えて刑務所から出てきたビリー・ブラウンは、両親に本当のことが言えない。苦しいときの口から出まかせで、自分は政府の仕事で遠くに行っていたが、今では女房と所帯を持って裕福に暮らしていると嘘をつく。ところがその嘘が命取り。彼は存在しない恋女房を、両親に紹介しなければならなくなってしまった。困ったビリーは、たまたま近くにいた若い女レイラを誘拐し、自分の女房を演じてもらおうとする。ところが彼女はすぐに、ビリーが本当は悪人ではないことを見抜いてしまうのだ。

 見た目はチンピラ然としたビリーが、じつは単なるお人好しで、およそ悪事というものから程遠いことは、映画の序盤でたっぷり描かれている。何しろ彼は、道ばたで立ち小便さえできない男なのだ。彼がトイレを探して街の中を右往左往する場面は、彼のへんな几帳面さが伝わってくるエピソードだ。誘拐したレイラに向かって、どう考えても脅し文句にはとれない台詞をしゃべって凄むところもユニーク。僕は最初、なぜレイラが車から逃げてしまわないのか不思議だったのですが、彼女はビリーのこうしたチグハグな態度に興味を持ち、やがて彼に好意を持ち始めるのではないでしょうか。

 刑務所帰りの男が起こした、突発的な誘拐事件を描いた映画のくせに、およそ緊張感や緊迫感とは無縁の映画です。物語全体の構成はしっかりしているのですが、印象は生ぬるくて、かなりゆるい。しかしこのゆるさが、この映画のよさでしょう。エピソードのつながりに緻密さが感じられないから、ビリーの父親が突然歌い出したり、レイラがボーリング場で下手くそなタップを踊ったりしても、あまり違和感を感じない。ちょっと間の抜けたビリーの行動が大事件にならずに済むのも、こうしたゆるさがあるからだと思う。こうした映画のテンポを気持ちいいと感じるか、退屈だと感じるかで、この映画の評価が変わってくるかもしれません。

 ヒロインのレイラを演じているのは、『アダムズ・ファミリー』シリーズや『アイス・ストーム』のクリスティーナ・リッチ。ビリーの生い立ちや性格を丹念に描いているのに比べると、レイラのキャラクターはまったく説明らしいものがない。にも関わらず、彼女が正体不明の謎の女には見えないところが、この映画の不思議なところです。なぜ彼女はビリーの正体に気づくのか、なぜ彼を全面的に受け入れてしまうのか、その理由はわからない。でも彼女のへんにグラマーな体つきと表情を見ていると、「この女なら大丈夫」という、なんの根拠もない説得力が生まれてしまう。ビリーは彼女によって、破滅から救われる。相手がどんな人であれ、全面的に自分を受け入れてくれる誰かによって、人は救われるのです。

(原題:BUFFALO '66)


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