八月のクリスマス

1999/03/17 メディアボックス試写室
不治の病の青年と、それと知らずに彼を愛する女性の物語。
観客に涙を強要しない本物の感動作。by K. Hattori


 世界中で今までに何百本と作られてきた「難病悲恋もの映画」の1本。この映画の新しいところは、病気で余命幾ばくもないのが男性の側だという点と、互いに相手に好意を持つ男女が最後の最後まで相手に気持ちを告白しない点。特に後者は新鮮です。この作品では、他の難病悲恋ものが必ず通る定石を、ことごとく避けています。主人公の病名は最後まで明らかにされず、「病と闘いながら最後の命を燃焼しつくす」という闘病映画にもなっていません。そもそも、主人公が病気で苦しむシーンすら、ほとんど映画に登場しない。彼に思いを寄せる女性は最後まで彼の病気を知らないから、「愛する者同士が手を取り合って一緒に病気と闘う」という展開にもならない。彼らは互いの気持ちを打ち明けることなく終わるので、「ようやく結ばれた恋人同士が幸せの絶頂を迎えたとき、死が静かに忍び寄ってくる」というお決まりのクライマックスも用意できないのです。

 たぶんこの映画に一番近いのは、アニタ・ユンが病気の少女を演じた香港映画『つきせぬ想い』でしょう。この映画では、少女と知り合う男性の視点から物語を描いていました。『八月のクリスマス』は『つきせぬ想い』の男女の立場を入れ替え、病気の男性の視点から物語を描く構成です。ことさら男女の恋愛をクローズアップするのではなく、家族の絆や幼なじみとの交流など、主人公の周辺にあるさまざまな人間関係を、ひとつずつ丁寧に掘り下げている。こうして主人公の人間像を多方面から照らし出している結果、物語の進行に伴って、感動が静かに少しずつ高まっていくのです。

 この映画には、「さあ、ここで泣け!」と作り手が声高に主張するような感動のポイントがありません。淡々とした日常風景の積み重ねを通して、それぞれの人間関係を豊かにふくらませて行き、「死」がそうした関係を根こそぎ奪ってしまう残酷さ、親しい人がいなくなってしまう切なさを描ききります。この映画で泣く人もいるでしょう。でも僕は泣かなかった。泣かなかったけれど、なまじ涙がすべてを押し流してしまう映画より、何倍も強く僕の心に残る映画になりました。

 目の前に死が迫ってもいつもニコニコしている主人公が、僕にはヘンに立派な人格者のように見えて、最初は嫌いでした。でも彼にも、人並みの苦しみがあるのです。酔って自分の身の不幸を嘆き、人生の不条理に怒りを感じて暴れまくり、夜になれば布団の中でメソメソ泣く。そんな弱さを、主人公は笑顔の裏側に隠している。いつも微笑みを絶やさないのは、人生の最後をせめて穏やかに過ごしたいという願いからかもしれません。彼のそうした態度が一度飲み込めてしまうと、目の前に現れた美しい女性との関係に、彼がどう対応するかをハラハラしながら見守ることになります。主人公を演じているハン・ソッキュは韓国ではスターだそうで、この映画では主題歌も歌っている。ヒロイン役のシム・ウナは、これが本格的な映画デビュー作だとか。庶民的な美女です。

(英題:CHRISTMAS IN AUGUST)


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