ガメラ3
邪神〈イリス〉覚醒

1999/02/12 イマジカ第1試写室
人気シリーズの完結編は、どうにも後味の悪いエンディング。
「続編の楽しみ」がもたらす弊害に毒された。by K. Hattori


 製作・大映、監督・金子修介、脚本・伊藤和典、特技監督・樋口真嗣による、平成『ガメラ』シリーズ3部作の完結編。怪獣特撮映画としての完成度の高さや、SF映画としての設定の秀逸さから、ファンの熱狂的な支持を受けながら、興行的にはいつも『ゴジラ』や『モスラ』の足元にも及ばなかった1,2作。今回は劇場がニュー東宝シネマなので、最初から映画館での興行を半ばあきらめているようにも思える。勝負はビデオか、LDか、あるいはDVDなのだろうか? 試写開始から公開まであまり時間がないのも、マスコミの盛り上げという意味ではちょっとつらいなぁ……。もっとも、今回の映画は過去2作に比べて、映画のできがいまひとつスッキリしなくて、見どころは多いものの、応援のしがいがない作品になっているとは思いますが……。

 上映時間は1時間48分。この内容で、この上映時間は短すぎる。これだけの登場人物を、それぞれ十分にふくらませながら物語を作ると、上映時間が最低でもあと30分は必要です。続編映画なので、1作目から登場してレギュラー化している人物を登場させないわけに行かないし、それが観客に対するサービスだとも思う。ここまで来ると、中山忍、藤谷文子、蛍雪次朗、本田博太郎の出演しない『ガメラ』シリーズなんて、ブルース・ウィリスの出演しない『ダイ・ハード』みたいなものですからね。僕なんて「どうせなら永島敏行も出してほしいぞ」とすら思います。でもこうした過去の人物の「今」を描くことに時間をとられ、新しいキャラクターの描き方が浅くなってしまったのでは本末転倒。だからといって、過去のキャラクターを捨てきれないのが続編のジレンマでしょう。この映画では、そのあたりがどうしても中途半端になっていると思う。

 怪獣特撮映画としての技術レベルは、いつも以上にすごく高いと思います。特に前半の渋谷でのギャオスとガメラの対決は、身近な場所が舞台になっているだけに唸らされました。後半の京都もビジュアル的にはすごいんですが、僕にとっては身近な場所でないのと、ドラマとの関わりが中途半端に感じられて、いまひとつのめり込めませんでした。結局、ドラマが弱いんだよね。

 両親をガメラに殺された少女(前田愛)の恨みが、新怪獣と融合するというアイデアはわかります。しかし、内閣情報調査室の謎めいた女職員や、そのパートナーである天才ゲーム作家が、物語の中ではたしている役目がわかりにくい。前田愛と対になるべき藤谷文子も、ただの解説者になってしまっている。新怪獣の卵を封印してきた守部一族の役目も、いまひとつわかりにくい。本来なら物語の核になるべきエピソードが萎縮して、怪獣パニック描写の中に埋没している感じがします。

 今回の映画では文化人類学から「マナ」というキーワードを持ってきて、ガメラの正体を探ろうとしていますが、これもアイデアが不発気味。エンディングも暗くて後ろめたい、後味の悪い映画になってしまいました。


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