縄文うるしの世界
青森県三内丸山遺跡'98

1999/02/09 東宝東和一番町分室試写室
日本最大の縄文集落から発見された漆塗り木工品の秘密。
発掘と同時進行で撮影された記録映画。by K. Hattori


 試写の案内をもらうと、片っ端から全部観て回るので、時にはこんなドキュメンタリー映画を観ることもある。この映画は、青森県にある縄文時代の集落跡「三内丸山遺跡」の発掘作業をテーマにした“縄文映画三部作”の完結編。三内丸山遺跡は江戸時代からその存在が知られていたものの、1992年にスポーツ施設を作る事前調査として本格的な発掘が始まり、今から5500年前から4000年前に存在した、大規模な集落の跡地であることがわかってきた。現在は遺跡の保存も決まり、東北の一大観光地になっているようだ。この映画では、遺跡から発見された漆器を通して、縄文文化の豊かさや、現代まで続く縄文文化の影響力を検証して行く。

 僕が子供の頃は、「縄文時代は狩猟採取生活」「弥生時代になって農業が始まる」というのが日本史の常識だった。縄文時代というのは石器時代であり、縄文人は野蛮な原始人だと思われていた。ところが現在では、縄文時代に原始的な農業が行われていたことは常識化しているし、遺跡から発見される様々な道具や装飾品から、遠隔地との活発な交易や交流が行われていたことがわかってきている。三内丸山遺跡では定住集落が1千年以上に渡って維持されてきたことや、最盛期の人口が数百人規模になっていることなどから、狩猟採取だけでは到底不可能な安定した社会が長期間維持されていることがわかる。この集落では、大量の食べ物カスが発掘されており、三内丸山の縄文人たちがクリやヒエを栽培して食べていたことがわかっている。彼らは集落の中や周囲に、意識的にクリを移植していったのだ。

 この映画のテーマは、日本伝統の木工品である漆器だ。じつは漆塗りの技術は縄文時代からあって、石器時代とは思えないような高度な木工技術も存在したらしい。大量の漆器を作るため、漆の木を栽培して樹液を収穫し、樹液を精製したりベンガラを混ぜたりする職人たちが存在したことが考えられる。漆の木は中国から輸入されたというのが定説だったのだが、日本と中国の漆のDNAを鑑定したところ、日本固有の種があることがわかり、日中にまたがる巨大な「漆文化圏」の存在が見えてきた。塗りの技術も基本的には現在と同じ多層塗りで、技術レベルは決して低くない。

 恥ずかしいことに、僕は今回この映画を観るまで、日本の古代文明は紀元3世紀の「邪馬台国」や4世紀の「大和朝廷」あたりでようやく芽生えたのであり、それより前の時代には、日本に文明らしきものなどないと思ってました。ニュースで遺跡発見の話を聞いても、そこから豊穣な「縄文文化」のイメージを作ることはできなかった。今回この映画を観て、日本にも「中国四千年」に負けない古代文化があったことを知った次第です。日本には文字がなかったから、こうした豊かな文化を後世に伝えることができなかっただけです。そう考えると、四千年の中国文明で生み出した最大の発明品は「文字」だったとも言える。『始皇帝暗殺』もすごかったけど、この映画にはもっと驚いちゃいました。


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