アンジャリ

1999/02/04 TCC試写室
インドの社会派監督マニラトナムの底の浅さが見えてしまう作品。
障害児を安易にメロドラマの材料にしている。by K. Hattori


 『ボンベイ』で僕を大泣きさせたインドの巨匠・マニラトナム監督が、1990年に撮った映画。若い建築家夫婦の家庭に、3人目の子供として生まれた女の子アンジャリを巡るメロドラマだ。一家の期待を一身に受けて生まれたアンジャリは、出産時の事故で脳に障害を受け、重度の知恵遅れになっている。妻の心を気遣って、最初はアンジャリが「死産だった」と家族から引き離していた夫も、やがてアンジャリを家族の一員として受け入れる。最初は戸惑っていた子供たちや近所の人々も、小さなアンジャリと触れあうことで、人間の尊厳や命の大切さを学んで行く……。まあ、そんな話です。

 正直言って、僕はこの映画を受け入れられません。子供が障害者だからといって、死んだことにしてしまうという発想が、どう考えても「思いやり」とは思えない。夫はアンジャリをひとりで抱え込んで、たったひとりで死ぬまで面倒見ようとしていたのでしょうか。病院通いをしている不審な行動を家族にとがめられて、「今は話せない」と苦悩してみせますが、アンジャリが母親や兄姉と顔を合わせることなく死んでしまえば、正直に家族にすべてを告白できるんでしょうか。僕は、そんなこと絶対にできないと思う。結局この夫がしていることは、障害を持った我が子を世間から隠し、病院で飼い殺しにして、闇から闇に葬ろうとしているだけじゃないのか。

 アンジャリは丸2年病院にいたのだから、死んだときはせいぜい2歳か3歳でしょう。アンジャリは知的障害があるといっても、自分で自由に歩き回れるし、片言の言葉も喋れる。障害があるといっても、これでは発育の「個体差」程度の問題じゃないのかね。この年頃の子供なんて、同年齢でも生まれ月によって発達が違うから、同じ2歳や3歳でも、半年ぐらい違うと身体の大きさが一回り違うし、生まれたときに未熟児だったりすると、身体の大きさがふた回りぐらい違ってくるよ。アンジャリは近所の子供たちからバカよばわりされたり、大人たちからも「子供に悪影響がある」「住環境が悪くなる」と言われて排斥されますが、この映画の中のアンジャリを見る限り、こうした言葉の方がかえって奇異なものに思えてしまいます。どうせなら、アンジャリがヒステリーを起こすところを描けばいい。アンジャリが糞尿を垂れ流すところを描けばいい。

 最終的にアンジャリを殺してしまうのも、妙にきれい事のまま物語を終えようとする意図が見え見えで不愉快です。彼女は近所の子供たちのマスコットとして愛されたまま、この世を去って行く。アンジャリがあと10年か15年生きていたら、知的障害を持つ人たちと社会の関わりについて、また別の問題が描けたでしょうに。むしろそちらの方が、はるかにテーマとしては重いんです。この映画ではそれを避けて、アンジャリを「無垢な天使」のまま殺してしまう。「気の毒だけど、障害者は死んだ方が幸せなのだ」と言わんばかりのやり口。馬鹿馬鹿しくて、こんなもので泣けるか!

(英題:Anjali)


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