トゥエンティフォー・セブン

1999/02/01 シネカノン試写室
不良少年を集めてボクシングジムを開設した中年男の夢と挫折。
新鋭シェーン・メドウス監督のデビュー作。by K. Hattori


 1日24時間が7回で1週間。人生はこの平凡な時間の繰り返しでできている。人間はこの平凡な時間の流れに埋没し、積極的に生きるでも死ぬでもない日々を送るのだ。だがこの映画の主人公である中年男アラン・ダーシーは、こうした生活に風穴を開けるべく立ち上がる。定職もなく町をぶらつく不良少年たちをボクシング・ジムにかき集め、彼らに「生きる意味」を教えようとするのだ。ダーシーのジムは順調に成長して行くかに思えたが、間もなく彼の夢は粉々にうち砕かれてしまう。

 主人公ダーシーを演じるのはボブ・ホスキンス。監督・脚本は、この映画がデビュー作となる25歳の新鋭シェーン・メドウス。イングランド中部のノッティンガムを舞台に、地元のアマチュア俳優や演技初心者を使ったモノクローム作品だ。話のパターンとしては、よくある「熱血教師と落ちこぼれ生徒」の系譜にあるものだが、最後の最後に主人公が挫折してしまうのが、この映画のユニークさだろうか。僕はつい先日シネ・ラ・セットでこの映画の予告編を観ているのだが、その時はこの映画を、ボクシングをテーマにした青春群像ドラマだろうと思っていた。モノクロのボクシング映画と言えば、名作『レイジング・ブル』もあるし、本作もわりと面白そうだと期待していたんですが……。ちょっと残念。

 映画はズタボロの浮浪者姿になったダーシーが数年ぶりに発見されるところから始まるので、そこから回想シーンになっても、彼が挫折することはあらかじめ折り込み済みだ。結論が挫折だとわかっていても、そこに至る物語の語り口次第では、先の見えないハラハラドキドキを作り出すことが十分に可能なのだ。ところがこの映画は、ボクシングに熱中する主人公たちを観ていても、観客である僕はどうしても熱くなれない。「どうせ失敗するんだから、あまり熱中しない方がいいよ」と、白けた気分になってしまう。ここは語り方ひとつで「運命に負けるな、がんばれ!」と声援を送れる話なのに、どうしても話が湿っぽくなってしまうのだ。

 物語や構成はこのままで構わないし、芝居の質も悪くない。ただしカメラの撮り方や編集には、もう少し工夫があってもよかったと思う。この映画のカメラは、常に冷ややかな第三者なのです。もっと人物の内面に踏み込んで、登場人物たちと一緒に泣き笑いしたほうがいいと思う。この映画では、カメラがいつも冷静すぎます。ダーシーが叔母と一緒にダンスに出かける場面ではユーモアよりグロテスクさが引き立っているし、彼が雑貨屋の若い女性を口説こうとして四苦八苦する様子も冷笑的に描かれている。映像にドキュメンタリーのような生々しさは感じるものの、被写体に共感できないのでは物語が成立しない。もう少し、なんとかならないものか。同じようにモノクロで現代の若者たちを描いた映画でも、マチュー・カソヴィッツの『憎しみ』には、登場人物たちに対する共感があったと思う。決してつまらなくない話のはずが、画竜点睛を欠いた映画になったのは残念。

(原題:TWENTYFOUR SEVEN)


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